2021年 10月 23日 (土)

番組を作りたくて日本テレビへ。制作・営業・報道・ドラマ・編成と学び続けて

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   私は、日本テレビに42年間(1976~2018年)在籍し、その間ずっと学んで来ました。およその経緯につきましては、折に触れ、本コラムで紹介してきましたが、今日は、日本テレビで学んだことをお伝えしようと思います。

   最初の21年間は、番組の企画・制作をする「制作」で、アシスタントディレクターから、ディレクター、プロデューサーまでおよそすべてのことを経験しました。

   そもそも私は番組を作りたくてテレビ局に入ったので、現場に立つことができ嬉しい日々の連続でした。

  • テレビの現場で学んだコト(写真はイメージ)
    テレビの現場で学んだコト(写真はイメージ)
  • テレビの現場で学んだコト(写真はイメージ)

部署異動は氏家斉一郎さんからいつも突然に!

   それが、1997年、日本テレビの氏家斉一郎社長(当時)の命令で、突然、番組を売るネット営業部に異動になり、部長を務めることになりました。

   番組を作っている部署から、180度変わって、大変でした。それでも、仕事をしていくうちに楽しくなりました。それは、番組を作るのも、売るのも、テレビ局にとっては、同じ「戦場」だと思ったからです。

   2001年に、東京ドームの食堂で、氏家社長と前川営業局長と一緒に食事をしている時に、氏家社長が「弘(当時、氏家社長は私のことを名前で呼んでいました)、お前は、今度は報道に行け」と言ったのです。報道で、ニュース編集部長(ニュースの制作の責任者)を、やれということです。

   突然のことに驚きましたが、報道には「厳しさ」が必要だということは、私も認識していましたし、とにかくやってみようと思いました。

   やってみたら、苦労は多かったですが、報道がテレビ局の「基本」であることを深く認識しました。

   2004年、氏家会長の時に「弘、そろそろ制作の現場に戻れ」と言われました。

   正直言って嬉しかったのですが、山根編成局長に「編成局担当総務の他に、ドラマ部長もやれ」と言われ、最初はとまどったものの、ドラマもやってみると面白かったです。

   2005年には、氏家会長から「編成局長になれ」という辞令をいただきました。

   今、振り返ってみると、いろいろな苦労はありましたが、それぞれに良さがありました。

   私が、今何とか生きていけるのも、日本テレビ時代の思い出と蓄積があるからです。(次回へ続く)

渡辺弘(わたなべ ひろし)
渡辺 弘(わたなべ ひろし)
1952年生まれ。東京大経済学部卒業。1976年に日本テレビに入社し、制作局CP、ドラマ制作部長として番組づくりの現場で活躍。編成局長、制作局長、取締役報道局長、常務・専務を歴任した。「マジカル頭脳パワー!!」「THE夜もヒッパレ」「「スーパーJOCKEY」「24時間テレビ」などヒット番組をプロデュースした。 現在は「情報経営イノベーション専門職大学」客員教授。映像会社「2501」顧問。
渡辺弘(わたなべ ひろし)
渡辺 弘(わたなべ ひろし)
1952年生まれ。東京大経済学部卒業。1976年に日本テレビに入社し、制作局CP、ドラマ制作部長として番組づくりの現場で活躍。編成局長、制作局長、取締役報道局長、常務・専務を歴任した。「マジカル頭脳パワー!!」「THE夜もヒッパレ」「「スーパーJOCKEY」「24時間テレビ」などヒット番組をプロデュースした。 現在は「情報経営イノベーション専門職大学」客員教授。映像会社「2501」顧問。
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