2024年 4月 20日 (土)

バブルの象徴から世界の桧舞台に ザ・ウィンザーホテル洞爺

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   2008年に日本で開催される主要国首脳会議(サミット)の場所が、北海道洞爺湖町となった。その会場となるのは、かつて「バブルの象徴」として、負のイメージを持って全国に知られたことがある「ザ・ウィンザーホテル洞爺」だ。その後は「知る人ぞ知る」存在だったが、世界の桧舞台に突然の再登場となった。数奇な運命とはこのことか。

バブルだったから誕生した超豪華ホテル

08年にサミットが行われる「ザ・ウィンザーホテル洞爺」公式HP
08年にサミットが行われる「ザ・ウィンザーホテル洞爺」公式HP

   「ザ・ウィンザーホテル洞爺」がサミット会場に決まったのは07年4月23日。翌24日付けの新聞各紙が大きく取り上げた。特に朝日新聞は、「バブルの舞台に大役」として、同ホテルが自己破産から再建に向かうまでを取り上げた。さらに同記事には、サミット候補地に京都を推していた麻生外相が周囲に漏らしたという「いじわる」なコメントも掲載されている。

「バブルの象徴のようなホテル(での開催)はいかがなものか」

   このホテル前身は「エイペックスリゾート洞爺」という名だった。北海道の建設会社「カブトデコム」の子会社「エイペックス」が、1993年に総工費665億円もの巨額を投じて建設した。資金の大半を北海道拓殖銀行が融資した。
   だが、バブルがはじけて日本中が大不況に陥り、特に北海道では影響が深刻だった。ホテルのメインバンクだった拓銀は、日本中に大きな波紋を投げかけながら97年11月に破綻してしまった。これに連れられた形でエイペックスも98年3月に自己破産を申請するに至った。

   同ホテルは警備保障会社セコムのグループ会社が買い取り、その運営を「ザ・ウィンザー・ホテルズ インターナショナル」に任せた。この会社は、長崎のハウステンボス内のホテルの運営を受託していたことがある窪山哲雄氏が、97年1月に設立したホテル運営会社だ。窪山社長の下で再建がはかられ、02年6月に「ザ・ウィンザー・ホテル洞爺」の看板で経営が再開された。同氏は再開にこぎつけた後、ホテルをこう評した。

「この立地にこれだけ豪華なハード(ホテル施設)はバブルだからできたこと。もう二度と日本で作られることはない」(「日経ビジネス」02年6月3日号)

   「ザ・ウィンザーホテル洞爺」は、洞爺湖と噴火湾を見下ろす標高600メートルの小山にそびえる。重厚なエントランスや広々としたロビー、贅沢なスパ施設を併設している。ホテル内部だけではない。大自然の中に設計されたゴルフ場、乗馬やフィッシング、カヌーなど、多彩なアウトドアが満喫できる国内でも有数のリゾートホテルなのだ。

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