子供の頃の愛読書の中に、バーネット女史の小公子と小公女は必ず入っていた。だから、大好きなセドリックの名前が、国産車に使われた時には、冒涜されたような気がしたものである。その小公女を現代のドラマに仕立てるとは、図々しいにもほどがある。優秀な脚本家・岡田惠和をもってしても無理なのである。
何故なら、学園の院長(樋口可南子)がデスクでパソコンを使っている現代の話なのに、酷いイジメがあっても、父母(つまり、今、何かと煩いモンスターペアレント)は影も形もなく、さらに、チクるべき教育委員会の存在すら出てこない。閉ざされた空間でしか成り立ち得ない物語を、グローバル時代の現代日本に置き換えるアイデアは、最初から破綻しているのだ。
セイラに扮する志田未来が、この若さで、益々凄みのある名演技を見せているのに、ドラマ自体が、この時間帯の若い視聴者に馬鹿にされる要素を含んでいれば人気が出ようがないのであるから、まことに勿体ないドラマなのだ。
若い頃は可愛い系で売った斉藤由貴が、なんとアル中で院長にいびられてばかりいるハイミスの妹教師に扮し、哀しくも滑稽な中年女を演じている。長い時間が過ぎたものだ。バーネット女史の小公女には、英国身分社会の厳しさと、そこで生きる少女たちの気品が漂っていたが、この奇天烈な現代劇(?)には、そのどれもがない。
(黄蘭)

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