2024年 4月 17日 (水)

とっくにお試し済み安倍首相!6年前の「第1次アベノミックスという災害」忘れたか!?

「経済においては、我々は金融政策と財政政策、それに成長戦略の3本柱で危機を突破していきたいと考えております。先の自公政権時代は、円高は是正できましたが、デフレからの脱却はあと一歩のところで果たせなかった。この反省の上に立って、経済政策におけるパワー不足を補うため、次元の違う政策を打ち出していこうとしています。とりわけ金融政策については、伝統的な手法にとらわれず、インフレ・ターゲットを設けて、大胆な金融緩和を行うという目標を掲げました。いろんな批判があるかもしれませんが、ご存じの通り、2%という目標を示しただけで、実際に為替は動き、株価も上昇しましたね。(中略)
   一方では、仮に株価が上がったって、一部の金持ちの利益にしかならないじゃないかと批判する方もいる。しかし、これは間違いです。なにしろ年金の運用の一部は、株式市場で行っているのですから。したがって、株価を上げていくということはとても大切なんです。たとえば、先に私が政権を担わせていただいた2006年から翌年にかけては、日経平均が約1万4000円から約1万8000円にまで上がりました。これによって、3兆円の運用益が出たんです。つまり、経済成長を続け、確実に株価を上げていけば、年金などの財政的な基盤も強化されていくわけで、非常に重要な点だと考えております。我々はこの経済政策で断固としてデフレから脱却するんだ、円高是正を進めるんだという強い国家意思をマーケットに示していきたい。(中略)
   先の安倍政権時代には、金融の量的緩和のおかげもあり、名目GDPが513兆円に増え、税収も51兆円まで数兆円増加した。しかし、そんな中、2006年の前半に日銀は金融の量的緩和をやめてしまったんです。デフレ・ギャップが埋まったという判断からです。しかし、その後、デフレ・スパイラルに陥り、日本経済は閉塞状況から抜け出せなくなった。もしあの時にインフレ・ターゲットを導入していれば、まだ物価上昇率が足らなかったわけですから、量的緩和は続けられていました。そうすれば、GDPは名目が実質を逆転し、デフレ不況からも脱却できていたのではないかと悔やまれてなりません。(中略)
   前回の総理在任中に靖国を参拝できなかった事は痛恨の極みだと申し上げました。やはりお国のために一生懸命働き、尊い命を失った英霊たちに国のトップが崇敬の念を表明するのは当然のことで、どの国のリーダーもそうしています。(中略)
   我々は民主党政権と違い、『二番』ではなく、『世界一』を目指しますから。あらゆる分野で世界一になることによって、日本を復活させます」

   読んでいただけばわかるように、これは「週刊新潮」に掲載された安倍晋三総理(対談の時点では自民党総裁)がインタビュアー櫻井よしこに対して語った言葉である。櫻井は安倍とは近く、一時は大臣に指名されるのではと噂されてもいたから、安倍の意に沿わないことは聞いていない、新味のないインタビューではあるが、安倍が景気浮揚になみなみならぬ覚悟と自信を持っていることがわかる。

参院選までは景気対策。ねじれ解消したら一気呵成に憲法改正

   しかし、本当にそううまくいくのだろうか。「週刊文春」はアベノミクスで起きる安倍バブルへの「完全対応マニュアル」を巻頭にもってきている。その中で安倍総理の腹心である世耕弘成官房副長官は安倍戦略をこう語っている。「とりあえず、七月の参院選までは金融緩和と財政出動で、アクセルを踏んで景気をよくしましょう、というのが基本姿勢。あとは日米関係の修復ですね。それ以外は安全運転でいき、参院選での勝利、ねじれ解消を最優先に考えていくことになる」

   金利が上昇するからマンションを買うなら今すぐ買え。安倍銘柄はゼネコンや軍需産業関連株。インフレ下では現金や銀行預金の価値が目減りするから、ユーロやカナダドル、オーストラリアドルを買え。コメの値段や回転寿司の値段は上がるが、相対的にはアベノミクスは庶民の生活を潤すことになるかもしれないと、文春は安倍政権に期待しているようである。

   靖国神社公式参拝はもちろんのこと、新潮の連載「世間の値打ち」で福田和也は「自民党大勝で待望の憲法改正」ができると、安倍総理への期待度90点と安倍賛歌である。景気を回復させて、中国がどう反発しようと靖国参拝をして、数を頼んで憲法改正までやろうというのだが、ちょっと待ってほしい。

   病という問題もあったが、第一次安倍政権がどれ程のものだったのか。彼にそれほどの手腕や実行力が期待できるはずはないことを、メディアも日本人も忘れてしまっているのではないか。新潮の名物コラム「墓碑銘」で『県民性』(中公新書)を書いた文化人類学者・祖父江孝男が86歳で亡くなったことの中で、祖父江が日本人の国民性をこう述べていたと書いている。

「災害への反応にあらわれる日本人の国民性として、秩序は維持されやすく、被災者救済に励むが、忘れやすく、注意はすぐになおざりにされる。合理的な用意周到さは軽んじられ、災害は繰り返される」

   あの時の安倍内閣という「災害」を忘れてはいけない。どれ程優秀で実行力のあるトップでも、デフレから脱却して景気を回復させることは容易なことではない。期待が失望と怨嗟に変わる日が再び来るのは、そう遠くないと思う。

日本維新の会トンデモ議員「ドS」で酔っ払って女性の首締め上げ

   「日本維新の会」がバッシングにあっている。文春は「維新は『犯罪』のデパートだ!」とやり、新潮は「『橋下徹』ベイビーズの呆れた『学歴詐欺』」をやっている。文春は上西小百合や桜内文城ら4人の維新候補の運動員が公職選挙法違反容疑で逮捕されたことに加えて、維新のプリンスといわれる初当選した井上英孝衆議院議員に「暴行」されたという女性の話をとりあげている。井上議員は大学時代にラグビーをやっていたようだが、呑むと女性にきついことをいったり叩いたりする「ドS」の癖があるというのだ。

   それは彼が市会議員だった6年前に起きた。酔っぱらった席で女性にからみ、彼女の首を絞めて吊り下げたというのだ。真偽のほどは定かではないが、これは事実だったら、とんでもない爆弾議員を維新は抱えたことになる。

   新潮は初当選した西岡新代議士の経歴に学歴詐称があると指摘している。選挙公報には「明治大学公共政策大学院中退」とあるが、地元政界関係者にいわせると、彼は高校で中退して中学卒だというのだ。中卒で議員というのは立派なような気もするが、詐称はよくない。本人曰く、12年の4月から11月まで「明大大学院のガバナンス研究科」に通っていたというのだが、新潮調べでは、ここは25歳以上で3年以上の職務経験さえあれば面接だけで入学できる、カルチャー教室のようなものだという。それで大学院中退はないだろう。

奥さんの反対で女優・眞野あずさと結婚できなかった米長邦雄・永世棋聖

   米長邦雄・永世棋聖が69歳で亡くなった。私も一時お付き合いしたが、若いときは棋風がさわやか流といわれるように、ダンディで素敵な人だった。だが、石原慎太郎都知事に誘われて東京都教育委員会の委員に入ってから人間が変わってきたと思う。

   天皇陛下に招かれた園遊会の席上で、米長は天皇陛下に「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話し、天皇陛下から「やはり、強制になるということではないことが望ましい」といわれたことが思い出される。

   女性も好きで、千人切りを目指していたそうだ。私も一人知っているが、とてもきれいで知的な女性だった。新潮にあるように、女優の眞野あずさ(55)と付き合っていたのは知らなかった。米長と親しかった桐谷広人七段はこう証言している。「2人が付き合っていたのは、昭和60年から2、3年だったと思います。彼女は、米長さんの棋聖就任式にも駆けつけて自ら壇上に上がり、彼の頬にキスをしたのです。2人の仲は半ば公然の秘密でした」

   米長は離婚して一緒になりたいとまで考えていたが、奥さんの猛反対で実現しなかったそうだ。将棋界の超ワンマンも奥さんには頭が上がらなかった。

オウム菊地直子の「逃亡同棲男」出所するまで待っている

   文春にオウムの菊地直子と同棲していて、犯人隠匿の罪に問われた高橋寛人のインタビューが載っている。聞き手は江川紹子。内容は純愛話である。菊地に結婚を申し込んだとき、彼女は本名を明かしてくれた。せめてもとの想いで菊地にウエディングドレスを着せて二人で記念写真を撮った。6年の間、いつ二人で自首しようかと思い悩んでいた。彼女のことを兄に話し、兄が警察に通報したのだろうが、恨んではいない。彼女が有罪になったら出所するまで帰りを待っている。

   江川によれば、菊地が起訴されたのは都庁郵便物爆破事件での爆発物取締罰則違反と殺人未遂のともに幇助罪だから、無罪になる可能性もあると指摘している。

ダルビッシュに疫病神!新女房役はチームの嫌われ者

   最後に新潮の気になる記事。テキサス・レンジャーズのダルビッシュ有投手に2年目のジンクスはないといわれていたが、ここへきて女房役の捕手がマイク・ナポリから「最も卑劣な選手」といわれるA・J・ピアジンスキーに入れ替わったことで「?」がついたというのだ。

   ピアジンスキーは打撃は問題なくいいのだが、トランプ遊びに熱中して試合前の練習をすっぽかしたり、試合中に相手の打者に「うちのチームにはロクな選手がいない」といって、これがチームメイトに伝わるなど、チームの和を乱すガンだといわれているようなのだ。

   ダルはストイックな練習に取り組む選手なだけに、ピアジンスキーとぶつかるのではないかと心配されているというのである。ダルビッシュの最大の課題は、試合ごとにいいときと悪いときがはっきり出る投球をどう手直しするかである。キャッチャーともめている余裕など、まだまだないと思うのだが。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

姉妹サイト

注目情報

PR
追悼
J-CASTニュースをフォローして
最新情報をチェック
電子書籍 フジ三太郎とサトウサンペイ 好評発売中