運輸
2004.11.01 19:12
歴史
80年代、大手輸送会社はこぞって宅配便に参入
小口の荷物を、個人の家や会社まで直接運ぶサービスをヤマト運輸が始めたのは1976年1月のことだった。それまでは、個人が小口の荷物を発送するのは大変不便だった。郵便小包か、鉄道を利用した「チッキ」と呼ばれる方法しかなく、郵便局か駅まで自分が出向かないと利用できなかった。「宅急便」と名づけたこの新サービスは、扱い開始とともに急激に伸び、1983年度の扱いは1億個を突破した。1980年代に入ると、大手の輸送会社はこぞってこのサービスに参入、低迷する業界の中で成長分野となった。
しかし、ヤマトの「宅急便」成長の道のりは決して平坦なものではなかった。ヤマト運輸は扱いエリア拡大のため、80年代初めから運輸省(現国土交通省)に新路線免許を申請したが、却下もされず数年もほっておかれるなど、運輸省の消極的妨害に苦しんだ。参入の壁がなくなったのは、規制緩和が叫ばれ始めた90年代に入ってからだ。
一方、JR各社の母体は旧国鉄である。巨額の借金を抱えて危機的状況に陥っていた旧国鉄が分割・民営化されたのは、1987年4月で、北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州の6つの旅客会社と貨物専門会社などが新たに誕生した。旧国鉄時代は赤字がひどく、毎年のように運賃値上げを繰り返していたが、民営化後は東日本、東海、西日本の3社は値上げをしておらず、赤字体質から脱却した形だ。また、国鉄時代頻発したストライキもほとんど行われなくなった。