2024年 5月 3日 (金)

トヨタ「中興の祖」豊田英二氏大往生 創業家の「クルマ好き」DNA、57歳の「モリゾウ」が引き継ぐ

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   トヨタ自動車の最高顧問で「中興の祖」とされる豊田英二氏が9月17日、100歳で死去し、マスコミは英二氏の功績を破格の扱いで報じた。

   だが、英二氏の現役時代の活躍を知る人は、かなりの年配者に限られるだろう。英二氏の業績とは?そして今も引き継がれる「豊田家」のDNAとは?

悲願だった自工と自販の合併を成功させる

   英二氏は創業家出身の社長として、高度経済成長期に大衆車からスポーツカー、高級車まで乗用車をフルラインで生産する今日のトヨタの基盤を作った人物だ。今日、トヨタがヴィッツ、カローラといった大衆車から、86(ハチロク)といったスポーツカーやレクサスという高級車を生産する総合デパートのような大メーカーになったのは、英二氏の功績が大きい。そう解説すれば、今の若い読者にもわかってもらえるだろうか。

   英二氏は東大工学部出身の開発技術者として1955年発売の初代クラウンの開発に携わった。副社長時代の66年に初代カローラを発売、今日のトヨタの基礎を築き、67年にはトヨタ自動車工業(当時)の第5代社長に就任した。

   ちょうど日本は、モータリゼーションの時代に突入していた。カローラは日産サニーなどライバルに打ち勝ち、その後のコロナマークⅡ(現マークX)、セリカなどヒット車を生むきっかけとなった。

   工場では、コスト削減など徹底してムダを省く「トヨタ生産方式」を築いたほか、米ゼネラル・モーターズ(GM)との米合弁生産交渉を進めるなど、グローバル化でも貢献した。

   82年、悲願だったトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の合併を成功させ、トヨタ自動車の会長に半歩退いたが、1994年までトヨタの取締役として活躍した。

創業家出身のトップが求心力

   英二氏はトヨタグループ創始者の豊田佐吉のおいに当たる。現トヨタ社長の豊田章男氏の祖父でトヨタ創業者の喜一郎氏とはいとこの関係。英二氏は初代喜一郎氏以来の創業家出身の社長だった。

   トヨタは創業家から何人もの社長を輩出している。現在の章男社長は佐吉のひ孫、喜一郎氏の孫という豊田家の直系。英二氏の死去について、章男社長は日本自動車工業会会長としての記者会見の席で「トヨタのみならず日本の自動車の歴史を見ても自動車業界の支柱を失ったが、豊田英二氏が育てた会社や人が様々な分野で頑張っている。現役世代が自動車産業を発展させていくことが、豊田英二氏の恩に報いることになると思う」と語った。

   豊田家から社長を輩出することについて、ある社員は「トヨタ車内の求心力を高めるには、創業家出身の社長は都合がよい。社長に『豊田』の苗字が付くだけで、なぜか不思議な力が生まれる」と語る。事実、現社長の下で、トヨタは米国のリコール問題やリーマン・ショックを乗り切った。

現社長はスポーツカーで国際レースに

   現在57歳の章男社長は、歴代の豊田家出身の社長の中でも異色の存在だ。英二氏が死去する直前の9月15日には、富山県南砺市で開かれた「TRDラリーチャレンジ」(トヨタテクノクラフト主催)の第4戦にスポーツカー「86(ハチロク)」で出場。排気量1.5リッター以上の「クラス4」で2勝目を挙げ、年間のクラス総合優勝を決めた。

   章男社長は国際ライセンスを持ち、「モリゾウ」のニックネームで、これまでドイツの24時間レースなどにもドライバーとして出場している。自動車メーカーの中ではホンダが歴代、クルマ好きの技術者出身の社長を輩出しているが、実際にモータースポーツに参戦する社長は国内ではもちろん、世界の主要メーカーを見ても稀だ。

   章男社長は自身がクルマを楽しむ姿をユーザーに見せることが「若者の車離れ」を止める有効策と考えているようだ。これまで機会あるたびに「モリゾウの役割はクルマファンを増やし、クルマを楽しむ文化を育てることだ」「すべてのメンバーが常に一段高い目標を掲げ、情熱をもってそれにチャレンジすることは、いいクルマをつくる上で必要なだけでなく、一人ひとりの成長にもつながる」などと語っている。

   豊田家のクルマを愛するDNAは、英二氏から章男氏へと脈々と受け継がれているようだ。章男氏のモータースポーツ参戦には「クルマ好きのおぼっちゃん社長の道楽」という批判もあるが、クルマへの理解や愛情がなければ、楽しい商品は生まれない。クルマ好きの創業家を経営トップに据えるトヨタの今後が注目される。

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