2019年 12月 10日 (火)

米軍は「京都の文化遺産を守るため空襲しなかった」 これを信じるのは「マヌケ」、百田氏が原爆投下で持論

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京都を候補地から外そうとする駆け引きは存在した

   京都への原爆投下をめぐっては、新婚旅行で京都を訪れたことがあるスチムソン陸軍長官が反対し続けたことが広く知られている。1945年5月の時点でスチムソン氏は、マンハッタン計画を指揮したグローヴス准将に対して京都を候補から外すように求めたが、グローヴス氏は京都の軍事的、産業的重要性から難色を示した。その後スチムソン氏はトルーマン大統領にアプローチし、一度は京都が候補から外れた。7月になってグローヴス氏は京都を再び候補に戻そうと試みたが、失敗に終わった。

   つまり、百田氏がツイートしているように、「京都が最終的に候補から外れたのは7月」で、そのまま8月の終戦を迎えたために結果として大規模な空襲を逃れたというわけだ。

   原爆投下については、米国内でも一部の科学者が反対したり、どこに投下するかなどをめぐり、様々な動きがあったりしたことが知られている。長崎の原爆も、直前まで小倉に投下されるはずだった。

   スチムソン氏らは、もし京都を原爆で破壊した場合、戦後の日本の復興に大きなマイナスとなり、日本をソ連寄りにする可能性があるということも心配していたようだ。最終的にスチムソン氏が押し切ったことで、戦後、米国側から「京都については文化遺産に配慮した」という宣伝が積極的にされることになり、そうした「俗説」が定着することになったとみる向きもある。

   なお、京都は45年1月から6月にわたって5回の空襲を受けており、奈良への空襲は数十回も行われている。

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