2019年 7月 16日 (火)

「ミスター・ラグビー」平尾誠二氏が死去 「(日本でのW杯)見たかっただろうなぁ」

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   ラグビー日本代表の不動の司令塔として活躍し、「ミスター・ラグビー」と称された神戸製鋼ラグビー部の平尾誠二ゼネラルマネジャー(GM)が2016年10月20日、死去した。53歳だった。各メディアが20日午後、一斉に報じた。神戸新聞(ネット版)などは、最近は闘病生活を送っていたことに触れている。

   史上初の日本開催が決まっていた2019年のラグビーワールドカップ(W杯)を前にした突然の訃報に、ネット上では「W杯が待ってたのに」「地元大会見たかっただろうなぁ」などと悼む声が相次いだ。平尾氏は、W杯日本大会の組織委員会理事と事務総長特別補佐を務めていた。

  • 「ミスター・ラグビー」平尾誠二氏の訃報に悲しみ広がる(画像は神戸製鋼コベルコスティーラーズ公式サイトより)
    「ミスター・ラグビー」平尾誠二氏の訃報に悲しみ広がる(画像は神戸製鋼コベルコスティーラーズ公式サイトより)

「スクールウォーズ」のモデルにも

   京都市出身。中学時代にラグビーを始め、伏見工業高(当時)では3年時に全国大会で優勝。このときの快挙は、テレビドラマ「スクールウォーズ」(TBS)のモデルにもなった。同志社大では史上初となる大学選手権3連覇を達成。同志社大時代には、当時史上最年少となる19歳4か月で日本代表に選ばれた。

   1986年に神戸製鋼所に入社。ラグビー部のエースとして活躍し、88年から7年連続で日本一となる「黄金時代」を築いた。91年のラグビーW杯第2回大会では日本代表のキャプテンを務め、代表初勝利を飾った。

   現役時代は主に「スタンドオフ」と呼ばれるポジションでプレーし、司令塔としてゲームを組み立てる役割を担った。1998年に現役を引退し、神戸製鋼ラグビー部のGMに就任。99年のW杯では監督として日本代表を率いた。

   こうした華々しい経歴や卓越したプレーから、ファンの間では「ミスター・ラグビー」と称された。日本ラグビー界屈指のスターの訃報を受け、ツイッターやネット掲示板には、

「本当にショックだ。早すぎる。日本でワールドカップやるのになんでそんなことになるんだ若すぎるだろう」
「2019の地元大会見たかっただろうなぁ。冥福を祈ります」
「19年のW杯が待ってたのに・・・」
「早すぎるよ、、、 これだけの功労者が念願の日本でのワールドカップ見れないなんて悲しすぎる」

といった悲しみの声が相次いだ。

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