2019年 9月 18日 (水)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(14)
ビデオメッセージが提起した「根本問題」

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    私のいう不可視の部分というのは、平成28(2016)年8月に今上天皇によって発せられたビデオメッセージのことを指すのだが、この中で天皇はきわめて曖昧な表現になるにせよ、摂政の難しさや晩年の天皇の健康状態による国民の社会生活の萎縮について話された。

   これは天皇のきわめて重要な個人的感想だった。つまり天皇しか話せない具体的内容で、父・昭和天皇、祖父・大正天皇の末年を語っていたのである。終身在位のありようは天皇個人の尊厳を傷つけるのではないかとの不安である。天皇自身しか味わえない苦衷がそのまま語られていたと言ってもよかった。

  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
    ノンフィクション作家の保阪正康さん
  • 天皇陛下がビデオメッセージが提起した「根本問題」とは…(画像は宮内庁提供動画より)
    天皇陛下がビデオメッセージが提起した「根本問題」とは…(画像は宮内庁提供動画より)

終身在位が「残酷」な理由

   知られているように、大正天皇は大正6(1917)年ごろから体調を崩され、療養生活に入られた。好きな漢詩を詠むこともできなくなっている。天皇としての立場に疲れたとの言い方もできる。牧野伸顕らの宮内官僚は摂政をつけることにして大正7(1918)年以後、5回に渡り、大正天皇の健康が優れないことを公式に発表している。

   大正10(1921)年の5回目の発表では、大正天皇はご幼少の頃からお脳が弱くと言った類の表現で天皇には向かないと匂わせて摂政の必要性を説いた。このような表現に大正天皇の側近たちは激昂している。なんと失礼な、というわけである。ある侍従武官は、実際に摂政制度が採用されたおりに、大正天皇の政務室に侍従が入り、御名御璽印を持っていこうとすると、大正天皇はその印を抱え込んで離さなかったというエピソードを紹介しているほどだ。まさに残酷である。いや非人間的な処置といってもいいほどである。

   今上天皇はそのような事実を指して残酷な制度というのであろう。さらに昭和天皇は崩御の前、2年間ほど病床に伏していた。昭和63(1988)年9月の大量吐血以降、社会では派手な歌舞音曲は中止された。

   全体的にエネルギーが枯渇した状態になった。天皇はそのような沈殿した空気が社会を支配的になることに釘を指した。このような発言は天皇のみに許される発言だったのである。

   さらに天皇はこのビデオメッセージにより重大な意思表示を行なった。いくつかの伏線が込められてもいたのだ。例えばこのメッセージの初めの文節では、あえて個人として自ら意見を発表すると宣言している。もっとわかりやすくいうならば、これから私が国民の皆さんに訴えることは私が個人という立場で話しているのです、つまり内閣の助言と承認を得て持論は述べられるべきなのに、私はそのような立場から話しているのではないと明言しているのだ。この率直さは重い意味を持つ。憲法に反するとの議論もできるし 、内閣の承認を得ていない以上、天皇の意見は「聞き置く」という段階にとどめておくことでもいい。実際にそういう意見もあった。天皇は何も言わずにただ玉座に座っているだけでも良いというのであった。

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