2019年 6月 19日 (水)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(37)
「臨時軍事費」浪費にみる「道徳的崩壊状態」

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師団移転で残った「携行し得ざる二百石の清酒」

   日本社会で米の配給が始まったのは、1941(昭和16)年4月である。このころ成年男子が日常生活に必要なのは、1日に2400カロリーだとされていた。それだけは確保すると政府は約束した。それが1942(昭和17)年には1日に2000カロリー、1950(昭和25)年には1800カロリーまで低められた。国民の栄養状態はどん底状態になった。結核の死亡患者は18万人に及んだが、戦争末期には死亡患者数の発表をやめた。激増したからである。これだけのことを知って、田中隆吉の前述の書を見てみよう。

「国民が1日2合3勺の主食の配給に、日に日に衰えつつあるとき、軍隊は戦時給養と称して1日6合の米麦を貪り食った。肉も魚も野菜も国民の配給量の数倍であった。国民が雀の涙ほどの配給に舌を鳴らしつつあるとき、ある師団の移転の際には、携行し得ざる二百石の清酒が残った。大都市の民が、椀の底が見えるような雑炊を主食の代わりとして吸い込みつつあるとき、高級官衙に勤務する軍人及び軍属は、外食券を用いずして二十五銭の弁当にその腹を膨らませた」
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