2021年 1月 22日 (金)

「どこの記者だっけ?」 潮丸関から声をかけられたのは、雪がちらつく初場所前だった

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   突然の訃報に、言葉が出ない――。

   大相撲の東関親方(元幕内・潮丸、本名・佐野元泰さん)が2019年12月13日、死去した。日本相撲協会が14日、公式発表した。41歳という若さだった。各メディア報道によると「血管肉腫」だったという。2018年の九州場所(11月)から休場しており、病気療養中だった。

  • 41歳の若さで他界した東関親方(元幕内・潮丸=写真は東関部屋公式サイトより)
    41歳の若さで他界した東関親方(元幕内・潮丸=写真は東関部屋公式サイトより)
  • 41歳の若さで他界した東関親方(元幕内・潮丸=写真は東関部屋公式サイトより)

年下力士からの「顔じゃない」に、グサッときた

   はっきりとは覚えていないが、前職で相撲担当記者だった筆者と、潮丸関が出会ったのは、2007~2008年頃だったと思う。当時の潮丸関は、幕内前頭と十両を行ったり来たりしていた記憶がある。

   メディア業界では「番記者」という言葉が、しばしば使われる。こちらは記者、相手は政治家や財界人、スポーツ選手、芸能人...。人間関係において当たり前だと思うが、初対面では、なかなか話してもくれないし、本音が引き出せない。

   こと、角界においては「顔じゃない」という言葉があった。隠語で「分不相応(ぶんふそうおう)」という意味で、いわゆる身分や能力などを考えてふさわしくないということを言う。 また、非礼や不作法などを叱る場合にも使われる。「顔じゃない」。力士であっても、年下の人間に言われたことに、正直、グサッときた。

   当時の記者は、本場所の結果を伝える以外にも、東北版や静岡版といった、地方の力士の活躍を書く仕事もしていた。その中で静岡市出身「地元のスター」だった潮丸関の活躍は、毎日のように伝えなければならないミッションだった。

   「『顔じゃない』じゃない」ことを伝えるため、毎朝6~7時に東関部屋へ向かった。最初は、知らんぷりだった。付け人にも、相手をしてもらえなかった。それでも、めげずに通い続けた。そんな、ある初場所前のことだった。雪が、ちらつく中だった。

「どこの記者だっけ?」

   初めて、関取から声をかけられた。

「中入り後」の取組が終わっても待っていてくれた

   少しずつ、潮丸関との距離が縮まっていった。朝稽古が終わったら「ちゃんこ、食って行けよ」とか、大好きだったカラオケに「今度、行こうぜ」とか...。

   嬉しかった。

   が、場所も終盤に差し掛かると、幕内最高優勝の取材で、奔走する日々が続く。十両から前頭を行ったり来たりする潮丸関に、会えない日々が続いた。大相撲の支度部屋というのは、一番奥に横綱、続いて大関、関脇...と番付順に序列があり、各関取の「明荷(あけに=まわし等の荷物を入れる箱のこと)」が置かれる。

   十両~前頭だった潮丸関は、当然、支度部屋の出入り口に近いところに明荷が置かれていた。横綱や大関が通るたびに「ごっつさんす!」、「ごっつぁんした!」と言って、道を開けることが礼儀だ。よって、番付が下の関取は、支度部屋の出入り口に近い方に明荷を置く。

   十両や前頭力士は、取組が終わった順に風呂に入り、上位力士より先に支度部屋を出ていく。しかし潮丸関は、横綱や大関が支度部屋で汗を流す中、静岡県民のために、記者の取材を待っていてくれた。慌てて駆けつけると、

「おい、遅いぞ!」

   その笑顔が、忘れられない。

元・高見山「あいつしか、いない...」

   ところで、東関部屋は「高砂一門」で、前親方は「2倍、2倍~!」のCMでもおなじみだった元関脇・高見山関だった。同部屋には「ロボコップ」として人気を博した高見盛関がいた。番付は高見盛関の方が上だったが、あまりにもメディアに面白く取り上げられたため、

「アイツは、ないな。潮丸だろ...」

と、ダミ声で話していただいたことを思い出す。

   東関親方、いや、潮丸関...。時に厳しく、時にやさしかった笑顔が忘れられません。

「ちゃんこ、食って行けよ」

   素敵な時間を、ごっつぁんした――。

(J-CASTニュース編集部 山田大介)

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