2020年 10月 29日 (木)

「復興」への思いを込めて、福島県の農業高校の生徒が作り続ける「ハマナス」ジャムや琥珀糖

「南相馬が好き」だから、南相馬で働く

   2011年3月11日。生徒たちはまだ小学生だった。自分たちが今まで感じたことのない大きな揺れに、水やガス、電気が止まった。

   蒔田さんは、「どうしたらいいのか、周りのことがまったく理解できませんでした。放射性物質の影響がわかり始めたころには、『福島がなくなる』『地元の野菜は検査しても食べることができない』といったニュースが流れ、『自分の家や福島に帰れなくなるのではないか』『福島がなくなったら、自分たちはこの先どこに行き、その先何をすればいいのか』などと不安に思いました。今でも、まだ少し心の奥底にその気持ちが残っています」

と漏らす。

   それでも、生徒たちは「南相馬で生きる」と決めている。

   蒔田さんは「昔からパン屋さんをやりたいなと思っていて、将来は有名なパン屋さんになりたいです」と明かし、西原さんは「私は介護士になろうと思っていて、2学年から福祉を選択して学んでいます」と話す。

   伹野さんは、「進学して管理栄養士を目指します。そして、いずれは地元に戻ってきて、今までのことを恩返しというか、地域に貢献できるような管理栄養士になりたいと思っています」。江畑さんは「仙台にある専門学校に進みます。製パンを学んで修行して、南相馬に戻って、自分の店を開きたいと思っています」と語る。

   大和田先生は、「復興復興と力むことなく、自分がやらなければいけないことを必死にやってほしいですね。『自分がこの職で一人前になってやろう』『これでなにかを成し遂げよう』と働くことで、いつの間にかどこかで復興の手助けになればいいのではないでしょうか」と、生徒に伝える。

大和田行俊先生は「なにか恩返しできないものか、と考えていました」と振り返る。
大和田行俊先生は「なにか恩返しできないものか、と考えていました」と振り返る。

   大和田先生は震災のとき、学校にいた。「信じられないくらいの揺れで、いったいどうなるのかなと......。当時はここで再び授業ができるか、わからない状況でした」と話す。

   震災後は、被災したり、転校したりと、南相馬に残った生徒たちは少なかった。「しかし、残った生徒が『ここで頑張る』というのですから、私たちもそれに応えなければいけません。逃げている場合ではないので。ここで卒業させてもらったおかげで今があるので、なにか恩返しできないものかと考えていました」。

   ここ相馬地方はいい。魚はうまいし、コメも野菜も果物も、なんでも獲れる。それだけに名物がないようにいわれるそうだが、「どれも、ホントにおいしい」と、大和田先生は胸を張る。

   「いずれ田園風景が蘇ってくれればね。もっと、よくなりますよ」。そう言って、大和田先生は、また前を向く。


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