2020年 7月 7日 (火)

「爆発踏切」日田彦山線BRT化でどうなる 戦後混乱期に起きた「忘れられた事故」残す遺構

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   JR九州の日田彦山線のうち、2017年7月の九州北部豪雨で被災し、運休が続いていた添田(福岡県田川町)~夜明(大分県日田市)間について、沿線市町村がBRT(バス高速輸送システム)への転換に同意し、鉄道としては廃止されることが、20年5月26日ほぼ決まった。

   この区間には「爆発踏切」という変わった名前の踏切がある。終戦直後の混乱の中で起こった大爆発「二又トンネル爆発事故」がその名前の由来になっている。

  • 何の変哲もないこの踏切が「爆発」踏切(Ippukuchoさん撮影、Wikimedia Commonsより)
    何の変哲もないこの踏切が「爆発」踏切(Ippukuchoさん撮影、Wikimedia Commonsより)
  • 何の変哲もないこの踏切が「爆発」踏切(Ippukuchoさん撮影、Wikimedia Commonsより)

トンネル内の火薬500トンが爆発

   爆発踏切は彦山(福岡県添田町)~筑前岩屋(東峰村)間にある。日田彦山線は城野駅(北九州市)から南下して夜明駅に至るが、北から順に開通していった同線のうち、1945年当時は彦山~筑前岩屋~大行司~宝珠山が未開業。彦山~筑前岩屋間は山間部を貫く区間で、二又トンネル・吉木トンネル・釈迦岳トンネルの3つのトンネルを掘削する計画だった。

   ところが、すでに完成していた二又トンネルと吉木トンネルに陸軍が目を付けた。1944年6月の小倉空襲で被災した陸軍小倉兵器補給廠山田填薬所(現・北九州市)に代わる火薬の保管場所に選ばれ、大量の火薬が搬入された。

   1945年8月に日本は連合国に降伏し、2つのトンネルに保管されていた陸軍の火薬も占領軍に引き渡されることになった。火薬は11月12日に占領軍が焼却作業を始める。吉木トンネル内の火薬は無事に処分されたが、二又トンネルの火薬を処分する時に事故が起こった。15時頃導火線に着火して作業を指揮した占領軍のユーイング少尉は現場を離れたが、火薬が激しく燃え始め、17時20分頃に大爆発を起こした。死者は近隣住民や警備にあたった日本人警官など145人、負傷者151人と現場近くの慰霊碑に記録されている。二又トンネルに保管されていた火薬の量は合計532.185トンとも記録されていて、爆音は遠く福岡市でも聞こえたという。

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