2024年 4月 26日 (金)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(10)
「韓国モデル」が意味するものは何なのか

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「韓国モデル」を支えるベンチャー

   他方、箱田さんは、今回迅速に対応した「韓国モデル」の背景には、1997年の通貨危機に臨んで金大中大統領が始めたベンチャーの育成が功を奏した、と指摘する。国際通貨基金(IMF)から資金提供を受けたこの危機では、ウォンの価値が急落し、韓国経済の屋台骨を支える財閥も大きな打撃を受けた。

   98年2月に政権に就いた金大中大統領は、大企業の人員整理を進めて財務負担を減らす一方、代わりに優遇税制などでベンチャー企業を積極的に支援する施策を取った。その結果、多くのIT、医療ベンチャーが誕生し、今に至っているのだという。

   今回のコロナ禍で、すぐにPCR検査を開発してほしいという政権の要請に応えたのも、こうしたベンチャー企業だった。それぞれ得意分野の違う企業が協働でキットを開発し、政府の承認も早かった。

   その結果、韓国はいち早く検査キットを実用化し、文在寅大統領が米仏などと交渉して余剰生産のキットを数十か国に輸出するなど、「世界標準としてのK防疫」を国内外にアピールするまでになった。こうした即応力は、韓国に多い身軽なベンチャー企業の存在抜きには語れない、と箱田さんはいう。

   だが、防疫という点では密接な連携が必要な隣国同士の日韓関係は、この間も冷え込んだままだった。

   日韓関係は、2018年10月に韓国大法院(最高裁)が戦時中の元徴用工らの賠償請求を認める判決を出して以来、急速に悪化した。1965年の日韓基本条約や請求権協定によって「法的には決着済み」とする日本側はこれに反発し、19年7月には半導体材料などの対韓輸出規制を強化した。これに反発する韓国は昨年8月、日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を通知し、歴史問題をめぐる対立は通商・安全保障問題へとエスカレートしていた。

   GSOMIAについて韓国は、失効直前の昨年11月、破棄の通知の効力を「停止」するとして、ひとまずは鉾をおさめたが、対立の構図は基本的には変わっていない。

   今回のコロナ感染で日本政府は3月5日、中国と並んで韓国からの入国を大幅に制限する措置をとったが、外交ルートで事前に知らされていなかった韓国側はこれに反発し、翌6日には日本人に認めていた査証免除措置と発行済み査証の効力を停止するという対抗措置をとった。

   その後も、水面下では、日韓の経済団体などが中心となって、韓国産の検査キットや防護服などを日本に提供しようとする動きはあったが、「恩を売られても困る」という官邸筋の意向を忖度してなのか、連携の話は順調に進んでいるとは言えない。

   以下は、箱田さんの話を聞いた私の感想だ。

   戦後の韓国では朴正煕政権以来32年間、軍事政権が続いた。本格的に民主化が進んだのは、1993年に金泳三の文民政権が誕生してからのことだ。北朝鮮と対峙する冷戦構造のもとでは、植民地時代や戦時中の対日協力の責任追及も許されず、韓国において歴史問題は長く封印されてきた。

   たぶん、その歴史を知らない日本人の多くは、「なぜ今になって歴史を蒸し返すのか」と反発するのかもしれない。だが、かつては戦後日本の歩みを評価していた韓国の人々の方は、過去を否定するかのような安倍政権の言動に神経を尖らせる。不信の連鎖は日韓にとって、不幸としか言いようがない。

   だが、そんな中でも、日韓関係打開への希望の芽は残っている。それは文化だ、と箱田さんは言う。

   IMF危機を乗り越えようとした金大中政権は、ベンチャー育成と共に、ITを駆使したコンテンツ産業に生き残りの道を模索した。ちょうどWindows95が普及し始めた時期だ。金大中政権は、日本文化を解禁すると共に、文化コンテンツの制作や輸出を支援し、それがのちの「韓流」の隆盛へとつながった。

「コロナ禍で、日韓のユニットを組む若者たちが行き来できないなど、文化面でも支障が出ている。しかし、コロナ禍の直前には、米アカデミー賞作品賞を受けた映画『パラサイト半地下の家族』が日本でもヒットし、自粛期間中も、ネットフリックス配信の『愛の不時着』が人気だ。政治面で悪化しても、日韓の文化の交流は着実に深まっている」
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