2024年 4月 26日 (金)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(23) 「自己責任」論とコロナ禍

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「忖度」を生む風土

   こうして、準拠集団としての「世間」の「空気」は、強い同調圧力を生み、過剰な「忖度」や権力への「従順」を生む。

   最近、公共施設や大学などが、「憲法」「平和」などをテーマにした催しを拒否する例が相次ぎ、言論空間がどんどん狭まっているのがその例だ。「別に権力者がそうせよと言うわけではない。権力の意向が勝手に忖度されてしまうのだ」と齋藤さんは言う。

   私たちが気をつけねばならないのは、この国にある二重権力、つまり国家権力と、暗黙の「掟」に支配され、裁判とは別の情緒的処罰を下す「世間」という権力が、重なり、増幅し合うことだ。そう齋藤さんは言う。

   その典型がイラク人質事件だった。

   「自己責任」という言葉が、本来の意味とは別にひとり歩きし、世間は、「逸脱者」とみなした若者たちにバッシングという鉄槌を下した。この場合は、為政者たちもこのバッシングを増幅し、利用した、「二つの権力が重なり合ったときに生じる凄まじい力をまざまざと見せつけた」と齋藤さんは言う。

   ではその後、この国でそうした風土は改まったのだろうか。冒頭のコロナ禍で取り上げたように、「世間」による同調圧力はさらに強まり、「世間」の正義感を体現する「自粛警察」という「空気」が生じるなど、その体質は変わっていないように思える。

   齋藤さんは、「自戒を込めて言えば、その同調圧力や増幅に加担していないかどうか、メディアはつねに意識しているべきだと思う。日本では為政者が命じるのではなく、一般の人が勢いづいてしまうと、その勢いが止められず、その勢いに追随して一切の異論を許さない空気が醸成されてしまう怖さがある。メディアは、マイノリティの声や少数意見に耳を傾け、勢いが止まらなくなる前に、冷静な判断ができるようにする責任があるのではないでしょうか」

   戦時中の大本営発表は、軍部の自作自演ではなかった。「ジャーナリズム」の集合体であるメディアが伝えたからこそ、人々はそれを信じた。戦後75年を経て、その本性は、果たして変わったのだろうか。

   齋藤さんの話を聞いて、その問いを、つねに自分に向けて発していなければ、と強く思った。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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