2024年 4月 19日 (金)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(23) 「自己責任」論とコロナ禍

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齋藤雅俊さんと考える「自己責任」

   この8月末、未來社から「自己責任という暴力―コロナ禍に見る日本という国の怖さ」

   という本が出版された。著者はTUY(テレビユー山形)の取締役を務める齋藤雅俊さん(64)だ。9月22日、ZOOMで山形在住の齋藤さんにインタビューをして、コロナ禍と「自己責任」について話をうかがった。

   齋藤さんは東京生まれで仙台で育ち、東京外国語大学イタリア語学科を卒業後の1980年にTBSに入社。報道局取材部を経て85~88年にパリ特派員を務めた。

   その後、報道局編集部でディレクターとなり、社会部サブデスク、デスクを経て「報道特集」のディレクターを4年間担当した。2002~06年にはパリ支局長を務める傍ら、フランス国立東洋言語文化学院(INALCO)の日本学科修士課程を修了し、TBSの取材センター長兼映像センター長、編集主幹などを歴任した。

   2010年の「報道特集」リニューアルに伴って同番組の制作プロデューサーとなり、2014年7月から今年3月まで、TUYの取締役兼報道制作局長を務めてきた。

   履歴からわかるように、一貫してテレビの報道現場を歩いてこられたジャーナリストである。だがなぜ、この時期に「自己責任」についての論考を発表したのだろう。私の質問は、そこから始まった。

   実は、この本の下敷きになったのは、INALCOに提出したフランス語の修士論文「イラクの人質事件から考える日本の自己責任論」だった。ここでの「自己責任」の訳語には、「La responsabilite indivduelle」を充てた。日本研究のため2004年に日本に滞在し、イラク人質事件のニュースを見て帰国していたフランス人研究者に尋ねたところ、「個人責任」がいいのではと助言されたからだという。後で詳しく触れるが、「自己責任」という言葉自体が、外国語への翻訳が難しい特殊日本的な考え方であることを示す一例といえるだろう。

   そもそも齋藤さんが多忙の毎日を縫ってINALCOで学んだのは、パリ支局長時代にしばしば現地を取材したイラクで、04年に起きた日本人人質事件の国内での反応に衝撃を受けたからだ。はじめは人質になった日本人若者3人に同情的だった国内の世論は、やがて「自己責任」というバッシングに変わり、3人に激しい非難が寄せられた。外務省が繰り返し入国を控えるように警告したにもかかわらず、イラクに入って拉致されたのは本人たち自身の責任だという理由だ。報道機関とはいえ、齋藤さん自らもイラクに入っていた。齋藤さんには、その非難が他人事とは思えず、「自己責任論」のルーツはどこにあり、なぜこれほどのバッシングにつながったのか、その背景を熟考したいと思うようになった。

   帰国後も、2013年に起きた窃盗未遂事件に関連して、みのもんた氏が次男逮捕について謝罪する出来事や、2018年にTOKIOのメンバーによる女子高生への強制わいせつ事件で、他のメンバーが謝罪する場面などを見聞きし、「自己責任」と親の責任、「自己責任」と集団責任などについて考え、原稿の手直しを続けてきた。そして今回、コロナ禍で起きたさまざまな出来事を見聞きするにつれ、「根底では何も変わっていない」と受け止め、大幅に加筆修正して出版に漕ぎつけた、という。

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