2024年 4月 20日 (土)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(23) 「自己責任」論とコロナ禍

イラク人質事件

   2004年4月7日、アンマンからバグダッドに向かう途中、日本の若者3人がファルージャ郊外でイラクの武装勢力に拉致され、人質になった。

   人質になったのは、東京都のフリーカメラマン郡山総一郎さん(当時32)、札幌市のフリーライター今井紀明さん(同18)、千歳市のボランティア活動家高遠菜穂子さん(同34)の3人だった。

   武装勢力はサマワに駐留していた自衛隊を48時間以内に撤退するよう求め、従わないと3人を殺すと主張した。日本政府はこの要求に応じずにいたが、3人は8日後の15日、現地の宗教指導者らでつくるイスラム宗教者委員会の保護のもとに解放され、その後バグダッドの日本大使館に移送された。

   朝日新聞が同日付の電子版で伝えたところでは、カタールのアラビア語衛星放送アルジャジーラのインタビューに答えた宗教者委の幹部は、次のように解放の経過を明かした。

   それによると、15日未明に武装グループ側から人質を解放するとの連絡があり、バグダッド市内のモスクを解放場所に指定した。同日午後3時半、上村司・駐イラク臨時代理大使が同市アメリア地区のクベイシー・モスクに着き、アルジャジーラのカメラマンとともにいた3人を確認して、同4時10分に日本大使館に保護したという。

   同紙によると、宗教者委のムハンマド・ファイジ師は解放後に記者会見し、人質だった3人が「サラヤ・ムジャヒディン・アンバル(アンバル州の聖戦士軍団)」との署名がある武装グループの声明文をそれぞれ受け取っていたことを明らかにした。

   声明は、人質事件が明らかになった後、日本人が自衛隊の撤退を求めるデモを行ったり、アラーの神を称賛してくれたりしたことを評価し、この日本人の態度に共感して決断したと主張。引き続き自衛隊やその他の外国軍の撤退に向けて日本政府に圧力をかけることなどを求めた。

   こうして3人は、アラブ首長国連邦のドバイを経由して無事帰国したが、羽田空港を降り立った3人を待ち構えていたのは、報道陣の激しいフラッシュと、「税金泥棒」「自業自得」などと書かれた手製のプラカードだった。空港近くのホテルに設けられた記者会見場では、病気を理由に欠席した3人に代わって家族がそれぞれのメッセージを読み上げた。

○高遠奈緒子さんメッセージ 日本の皆様、世界じゅうの皆様に大変なご魅惑をお掛けしましたことを伏してお詫び申し上げます。
○郡山総一郎さんメッセージ このたびは国民の皆様に多大なるご迷惑をお掛けしたことを反省しております。
○今井紀明さんメッセージ みなさま、ご心配をおかけし、申し訳ありません。

   この事件の時に、齋藤雅俊さんはイラク戦争が陥落してちょうど1年が過ぎ、イラクの何がどう変わったのかを取材するため、3度目の取材でバグダッド入りしていた。だから、当時、人質3人が国内でどう扱われていたのかは、直接は知らない。ただ、国内から送られてくる報道を見て、そのバッシングの強さと、国民に謝罪する3人の姿に、異様さを感じないわけにはいかなかった。

   それからメディアの記事や報道などを調べたところ、国内世論の変化は、次のようなものだった。

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