2024年 4月 25日 (木)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(23) 「自己責任」論とコロナ禍

全国の工務店を掲載し、最も多くの地域密着型工務店を紹介しています

「責任」の正体とは

   齋藤さんの著作に戻って、この国の「責任」の在りかたを振り返ってみたい。

   齋藤さんは、近代以前の日本社会では主に犯罪の予防を目的として、重大犯罪には集団責任が制度化されていた、という。犯罪者の親族にも責任を求める「縁座」や、職務上の犯罪で上司や同僚など一定の範囲の他人にまで連帯責任を求める「連座」などだ。こうした制度は1882年(明治15年)の旧刑法制定によって廃止され、明治から大正にかけては「集団責任から個人責任へ」という流れが定着していく。

   1870年には、中村正直が英国のサミュエル・スマイルズの「自助論」を「西国立志編」に翻訳して百万部のベストセラーとなり、「天は自ら助くる者を助く」という言葉が広く使われるようになった。こうして、「お上」の助けや近隣の厚意には頼れないという「自主自立」の精神は、社会や経済の分野に浸透していった。

   齋藤さんが、明治末から昭和45年までの約50万件の新聞記事を集めた神戸大学新聞記事文書で検索したところ、「自己責任」のワードを使った記事は13件あり、明治末から1920年代にかけてが9件と多かった。

   これについて齋藤さんは、大正期にはデモクラシーと共に、弱肉強食の論理が幅を利かす、今でいう「新自由主義経済」の時代潮流が始まったからでは、と分析している。

   だがその後に続く戦前は、再び「個人責任から集団責任へ」という逆流が始まる。関東大震災や昭和恐慌などの社会不安が続き、大衆の不満は、労働運動とナショナリズムという二つのはけ口を求めるようになった。戦時色が強まるにつれ、自立した「個人」は「国家」という大義に吸収され、「国家」がすべてに優先されるようになる。総力戦に向けて終身雇用、年功序列、ボーナス、企業内組合、メインバンク、源泉徴収などが制度化され、集団体制が強まった。

   こうした戦時体制は、アメリカ占領軍による戦後改革でも維持され、「日本型経営」として高度成長の原動力となった。日本企業は「家族主義的経営」を旨とし、「一億総中流」という意識と経済状況を生んだ。こうした「横並び」や「護送船団方式」の下では、個人という単位での責任の在り方を深く掘り下げられることはなかった、と齋藤さんは指摘する。

   齋藤さんの修士論文のタイトルで、「自己責任」にあたる仏語訳が定まらなかったのは、日本では「責任」そのものが、こうした複雑な変遷を遂げ、多義化されているためだろう。

   日本で為政者が「自己責任」を唱えれば、そこには「因果応報」や「自業自得」といったニュアンスがまとわりつく。本来の「自助」の精神とは反対のベクトルに向かって意味が働くということだろう。日本で人質事件のニュースを見たフランス人研究者が齋藤さんに「個人責任」という訳語を勧めたのも、そうしなければフランス人には理解できない、と考えたためではなかったろうか。

姉妹サイト

注目情報

PR
追悼
J-CASTニュースをフォローして
最新情報をチェック
電子書籍 フジ三太郎とサトウサンペイ 好評発売中