2021年 1月 21日 (木)

90年の歴史「嘉穂劇場」と大衆演劇の今 「不思議と血が騒ぐ」場を守る生き残り策とは

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   新型コロナは舞台芸能に容赦ない打撃を与えたが、大衆演劇も例外ではなかった。影響は戦前以来の芝居小屋の姿をとどめる「大衆演劇の聖地」嘉穂劇場(福岡県飯塚市)に及んでいる。運営主体を変えて存続を目指す嘉穂劇場と、大衆演劇の今を取材した。

  • 古い芝居小屋のスタイルをとどめる嘉穂劇場
    古い芝居小屋のスタイルをとどめる嘉穂劇場
  • 桟敷席を備える館内
    桟敷席を備える館内
  • 古い芝居小屋のスタイルをとどめる嘉穂劇場
  • 桟敷席を備える館内

筑豊の栄華をとどめる

   福岡県飯塚市に立地する嘉穂劇場は1931年に完成、木造二階建てのこの劇場は桟敷席が設けられ、舞台には人力で動かす回り舞台(盆)を備え、明治~昭和初期の芝居小屋のスタイルをとどめている。大衆演劇の他、歌手のコンサートや歌舞伎の興行も開催されてきた。国の登録有形文化財の指定も受けており、公演がない日には見学も可能だ。

   この劇場は様式そのものに加え、炭鉱で栄えた筑豊地方の栄華も今に伝える。大衆演劇を長年取材してきた演劇評論家の橋本正樹さんによれば、九州、わけても筑豊は大衆演劇が盛んな土地で、東京・関西と並ぶ盛況ぶりだったという。全盛期の昭和20年代、30年代(昭和30年は1955年)には50~60軒あったという筑豊の芝居小屋も閉鎖されていき、当時から続いてきたのは嘉穂劇場だけだ。

   しかし戦後、昭和40年代頃から炭鉱の閉山で筑豊の産業は衰退、テレビなど新しい娯楽の普及で大衆演劇は冬の時代に入ったと橋本さん。

   嘉穂劇場は大衆演劇「冬の時代」からの再生にも貢献したと橋本さんは語った。東京・関西・九州に分立し交流が少なかった劇団の座長が一堂に会し舞台に立つ「全国座長大会」が1979年に初めて嘉穂劇場で上演された。翌80年の大会の様子がNHK特集「晴れ姿!旅役者座長大会」で取り上げられ、大衆演劇復活のきっかけになったそうだ。以降も毎年ここで上演され、役者にとっては特別な場所だった。

「劇場主だった故・伊藤英子さんが、公演がない時でもいつも劇場を綺麗に保ってくれていました。舞台に立つと不思議と血が騒ぐという、裏方と役者の気持ちが宿ったスペシャルな劇場だと思います」(橋本さん)
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