「世界のオザワ」小澤征爾さん逝く 西洋音楽の頂点に上り詰めた88年の生涯

   クラシック音楽の指揮者として国際的に活躍してきた小澤征爾さんが2024年2月6日、心不全のため亡くなったことがわかった。88歳だった。

   近年は体調がすぐれないことが多く、病と闘いながらの音楽活動だった。日本人ながら、西洋音楽の頂点に上り詰め、圧倒的な人気を誇った「世界のオザワ」の訃報に、内外から追悼の言葉が相次いでいる。

  • クラシック音楽の指揮者の小澤征爾さん(写真:Haruyoshi Yamaguchi/アフロ)
    クラシック音楽の指揮者の小澤征爾さん(写真:Haruyoshi Yamaguchi/アフロ)
  • ヘルベルト・フォン・カラヤン氏とのツーショット。1982年(写真:Fujifotos/アフロ)
    ヘルベルト・フォン・カラヤン氏とのツーショット。1982年(写真:Fujifotos/アフロ)
  • 1963年撮影、若き日の小澤征爾さん(Wikimedia Commonsより)
    1963年撮影、若き日の小澤征爾さん(Wikimedia Commonsより)
  • 2015年7月、ケネディ・センター名誉賞を受賞した際の小澤征爾さん(Wikimedia Commonsより)
    2015年7月、ケネディ・センター名誉賞を受賞した際の小澤征爾さん(Wikimedia Commonsより)
  • クラシック音楽の指揮者の小澤征爾さん(写真:Haruyoshi Yamaguchi/アフロ)
  • ヘルベルト・フォン・カラヤン氏とのツーショット。1982年(写真:Fujifotos/アフロ)
  • 1963年撮影、若き日の小澤征爾さん(Wikimedia Commonsより)
  • 2015年7月、ケネディ・センター名誉賞を受賞した際の小澤征爾さん(Wikimedia Commonsより)

ウィーン国立歌劇場の音楽監督も

   1935年、旧満州の奉天で生まれた。自伝的著書『おわらない音楽』(日本経済新聞出版社)などによると、父親は歯科医だが、「五族協和」に邁進した満州国協和会の中心人物の一人だった。名前の「征爾」は、満州事変に深く関わった板垣征四郎と石原莞爾の名前から一字ずつ採ったという。幼少のころから楽才があり、当初はピアニストをめざしていたが、成城学園中学時代、ラグビーの試合でけがをして断念。高校に入ってから、チェリストで指揮者、高名な音楽教育者でもあった齋藤秀雄氏に就いて指揮を学んだ。

   斎藤氏が教えていた桐朋学園短大を卒業後、群馬交響楽団の指揮者などを経て59年、24歳で単身渡仏。ほどなく第9回ブザンソン国際指揮者コンクール1位、カラヤン指揮者コンクール1位など立て続けに欧米の音楽コンクールで受賞。カラヤンやバーンスタインからも注目され、期待の若手指揮者として内外に知られるようになった。

   61年には早くもNHK交響楽団に招かれたが、まもなく楽団側と折り合いが悪くなり、辞任。これがきっかけになって日本から離れ、皮肉にも海外を舞台に活動することが多くなった。64年からトロント交響楽団の指揮者、73年から2002年まで名門ボストン交響楽団の音楽監督に。

   主に米国に軸足を置いたが、次第にウィーン・フィル、ベルリン・フィルなどヨーロッパの有名オーケストラにも招かれるようになり、02年~10年まで世界屈指の伝統と格式を誇るウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。実力、名声ともに日本人の指揮者としては前例のない突出した存在であり、西洋音楽界の頂点を極め、多大な貢献をした功績から08年、文化勲章を受章、2022年3月には日本芸術院会員にも選ばれた。このほか15年には日本人として初めて、キャロル・キングや ジョージ・ルーカスと共にケネディセンター名誉賞を受賞している。

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