あなたの周りに「俺、昔は『やんちゃ』しててさ......」という話をする人はいないだろうか。現在は一定の成功を収めている大人が、「昔は悪いことをしていたけれど、今は更生して立派になった」と語るエピソード。しかし近年、SNSなどでこの「やんちゃ」が、自分の過去を都合よくロンダリング(洗浄)する免罪符になっているのではないかという意見が、多く見られるようになった。「やんちゃ」という語の変遷と現在の機能『精選版日本国語大辞典』によれば、「やんちゃ」とは「小児が、または小児のように、わがまま勝手な振る舞いをすること。だだをこねて無理を言うこと」という意味だ。つまり、「わんぱくな子ども」の行動を指す言葉であった。では、この「やんちゃ」がいつから好意的な意味合いを持つようになったのかは、はっきりしていない。ただ、1970年代以降の「大人が押しつけるルールへの反発」から始まった不良文化と結びつくかたちで、「やんちゃ」という言葉に中高生の非行も含まれるようになっていったようだ。そして、「やんちゃ」語りを最も後押ししたのは、90年代後半以降のテレビのバラエティー番組の影響が大きいだろう。テレビ文化を通じて、「やんちゃ」は過激だけれど愛嬌のある人物像を想起させる、ひとつのラベルとなっていった。とくにトーク主体の番組では、学生時代にレールから外れた芸能人たちが、自身の過去の行為をおもしろおかしいエピソードとして語ることで、「若いころの失敗を糧にした」「既存のシステムにとらわれない人間」として視聴者に好感を与える装置になり得たのである。バラエティートークの影に隠れた加害構造ただ、非行が「やんちゃ」という言葉にスライドすることで、言葉自体が加害性を和らげるレトリックとして機能しやすくなる問題がある。過去の失敗を暴露するトークが「失敗を語れる強さ」「人間臭さ」といった称賛を生む一方で、その過程で被害者の存在や加害構造が抜け落ちていることも多い。それが露呈した顕著な例が、2005年に放送されたバラエティー番組『カミングダウト』におけるエピソードだ。当時未成年の女性タレントが、かつてある店舗の倉庫に集団で入り込み、大量の商品を窃盗することを繰り返し、店舗をつぶしていたと笑い話として語ったのである。これが事実であれば、完全な犯罪行為であり、多大なダメージを受けた被害者がいるということになる。結局、女性タレントは事務所を通じて「フィクションを交えた誇張した話」だったと謝罪し、活動を自粛する結果となった。「ヤンキーを看板にして仕事にする芸能人も最低」近年のテレビでは、こうした「やんちゃ」語りに対する変化が見られている。闇営業やオンラインカジノ、ハラスメントといった問題が噴出し、テレビ業界がコンプライアンスを重視する傾向が強まっていることも大きいが、最大の要因は視聴者の感覚が変化したことだろう。たとえば、2022年に放送された『しゃべくり007』で、アンガールズの田中卓志さんが「ヤンキー、本当意味わかんない。腹立つでしょ?暴れまくって」「ヤンキーを看板にして仕事にする芸能人も最低だと思います」「自分から(やんちゃをしていたと)発さなければいいんですよ!(中略/ヤンキーだったと言われたら)『いや?すいませんでした』。これ正解、これしかないんすよ!」と言い放ち、話題となった。放送後、SNSなどで「正論過ぎる」「わかりみしかない」といった同調のコメントが多く見られた。これは、過去の非行を武勇伝として披露することへの嫌悪感の現れといってよい。実際、不良少年だったというエピソードがある「かまいたち」の濱家隆一さんは、自らそうした逸話を出すことはない。東京へ進出し、いじられキャラが定着して人気者となり、MCで八面六臂の活躍をするようになってからは、なおさらである。「やんちゃ」語りは、もはや時代遅れなのである。参考文献:五十嵐太郎・編著『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社)/難波功士『ヤンキー進化論』(光文社新書)
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