プロ野球西武、巨人などでプレーした中島宏之氏(43)が、2025年8月21日に公開された野球解説者・高橋慶彦氏(68)のユーチューブ動画にゲスト出演し、米国で成功できなかった理由を明かした。
「アメリカに慣れる時間がなかった」
兵庫・伊丹北高校出身の中島氏は、00年ドラフト会議で西武に5位指名され入団。西武では、主力として12年間プレーした。
12年オフに海外フリーエージェント(FA)権を行使し、大リーグのオークランド・アスレチックスと契約した。当時の報道によると、2年総額650万ドル(約5億5千万円)の契約だったという。
米国1年目は、スプリングトレーニングで調子が上がらず、足の故障もあってマイナーで開幕を迎えた。3Aで試合に出場し続けるも、13年シーズンは一度も大リーグに昇格することなく終えた。
2年目のシーズンもマイナー生活が続き、大リーグ昇格はならず。結局、2年間、大リーグに昇格することなく、14年オフにフリーエージェント(FA)となり、日本球界に復帰。複数球団による争奪戦の末、オリックスに移籍した。
西武時代、パ・リーグの首位打者争いを演じたことのある実力者が、なぜ米国で通用しなかったのか。中島氏は、その要因のひとつとして、日米のシーズン前キャンプの相違を挙げた。
中島氏は「(米国に行く前に)『すぐに試合が始まるよ』と言われたが、慣れる時間がなかった」とし、次のように当時を振り返った。
「WBCがあって、声をかけてもらっていたが...」
「キャンプに入ったらすぐに、ちょっとした実戦の試合になるから、これは打てないと思いました。はじめピッチャーが投げて、(自分が)バッターボックスに入って、『(バットを)振らなくてもいいよ』みたいな感じだった。『打ちたかったら打ってもいいし』みたいな。それが2回くらいあった。でも、すぐその後から試合になったので...急に試合の球がきたら打てない」
12年12月18日にアスレチックスと契約し、13年1月上旬に渡米。チームのキャンプ地であるアリゾナ入りし、チームの施設でトレーニングを積んだという。
中島氏は「(周りの選手は)めっちゃ早く打っているわけでもないから、どうしているのかなと思っていた」と切り出し、こう続けた。
「ちょうどその時、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック13年大会)があって、声をかけてもらっていたが、『早くアメリカのチームのところに行って慣れたいので』ということで、アリゾナに行った。そっちに(WBCに)出させてもらった方が、実戦でやれたかもしれなかった」
レギュラーシーズンに入る前の段階で、早くもつまずいた中島氏。真面目な性格が裏目に出たという。
「早くチームに行かなくてはいけないのかと思っていたら、それ(WBC)に出ている選手もいて、後からチームに合流していた。契約が後から決まった選手もいる。スタートの時点でいない選手もいた。そんなんでもよかったんだなと。早めに行って慣れとかないと思って。練習はできたが、実戦ができなかった」
中島氏は日本球界復帰後、オリックス、巨人、中日でプレーし、24年シーズンを最後に現役引退した。日本では、通算1928本の安打を記録。惜しくも2000本安打に届かなかった。
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— DAZN Japan (@DAZN_JPN) April 27, 2022
いったぁぁーーーーーーーー‼‼#中島宏之 のグランドスラム????????????????
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今シーズン1号は先制の満塁弾✨✨
20年目のベテランがスタメン起用に応えた????????#原辰徳 監督も大興奮✊????✊
⚾#プロ野球(2022/4/27)
????DeNA×巨人
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