「だったら、絶対に悪くなるもんか」
早世した父の思い出も強烈だ。臨終のとき、4人の子どもは父の布団の周りに座らせられ、一人ずつ父の手を取って最期の別れをした。父は仲代さんの手を握るとじっと顔を見て、突然母にこう言った。「こいつはちょっと悪くなる。不良にならないように気をつけろ」。
仲代さんは小さいころから恥ずかしがり屋で内気な少年だった。父がなぜ「不良になる」と言ったのか分からない。「だったら、絶対に悪くなるもんか」と心に誓った。
「戦後のどさくさで不良になる子供がいくらでもいた中で、私は強く正しく生きたと堂々と言えるのは父の言葉のお蔭。ある意味で、これは素晴らしい遺言だったわけです」
定時制高校時代、仲代さんは将来、できれば出版社で働きたいと思っていた。子どものころから本好き、読書家だったからだ。早稲田大学の夜間部を受けたが不合格。それでは、小説家になれないかと思って原稿用紙200枚ぐらいの習作を出版社に送ったが、なしのつぶて。ボクサーにも挑戦したが、向かないと思ってあきらめた。