名優・仲代達矢さん死去92歳、「赤秋」をまっとう 「少女の腕が...」強烈な戦争体験

「だったら、絶対に悪くなるもんか」

   早世した父の思い出も強烈だ。臨終のとき、4人の子どもは父の布団の周りに座らせられ、一人ずつ父の手を取って最期の別れをした。父は仲代さんの手を握るとじっと顔を見て、突然母にこう言った。「こいつはちょっと悪くなる。不良にならないように気をつけろ」。

   仲代さんは小さいころから恥ずかしがり屋で内気な少年だった。父がなぜ「不良になる」と言ったのか分からない。「だったら、絶対に悪くなるもんか」と心に誓った。

「戦後のどさくさで不良になる子供がいくらでもいた中で、私は強く正しく生きたと堂々と言えるのは父の言葉のお蔭。ある意味で、これは素晴らしい遺言だったわけです」

   定時制高校時代、仲代さんは将来、できれば出版社で働きたいと思っていた。子どものころから本好き、読書家だったからだ。早稲田大学の夜間部を受けたが不合格。それでは、小説家になれないかと思って原稿用紙200枚ぐらいの習作を出版社に送ったが、なしのつぶて。ボクサーにも挑戦したが、向かないと思ってあきらめた。

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