名優・仲代達矢さん死去92歳、「赤秋」をまっとう 「少女の腕が...」強烈な戦争体験

「赤秋」という言葉を大切に

   どこかに学歴不要の仕事はないか。そう思っていた時に、夜間高校の友人に「お前は顔がいいからから役者になれよ」とすすめられた。

   仲代さんは映画が大好きで、よく見ていた。なけなしの金をはたいてパンフレットも買っていた。欧米の俳優のプロフィールを見ると、だれもが大学の演劇科や有名な演劇学校を出ている。そんなこともあって、仲代さんも俳優座養成所の門をたたくことにする。父親は背が高かった。母親は声がデカかった。その両親の資質を受け継いでいた。

   ちょうどその年は俳優座が、「大柄な新人」を求めていたことも幸いした。20倍の競争率にもかかわらず養成所に潜り込めた。さらにそこから50倍といわれた競争を突破して晴れて俳優座に入ることができた。合わせれば「1000人に1人」という狭き門をくぐり抜けたことになる。

   その後の役者人生は、よく知られている。基礎となったのは「舞台俳優」としての矜持だ。テレビや映画と違って、舞台では「カット」がない。このため役者には、高い演技力が求められる。

   たとえばセリフは全部覚える。相手役の分も含めてだ。脚本からセリフ部分を大きな紙に書きだして、家じゅうに貼って頭に叩き込む。映画撮影でも台本は持参しない。もう全部覚えていたからだ。主役が台本なしだと、わき役陣も緊張し作品が引き締まる。

   同じく俳優・演出家で、65歳で亡くなった妻の宮崎恭子さんの造語「赤秋」という言葉を大切にした。紅葉が散る前に真っ赤に燃える秋――。妻がこの言葉を口にしたのは、がんが見つかったころだった。

   「自分という葉が朽ち果てるまでの残された時間は真っ赤に燃えて生き切りたい」。その思いが、老境に入った仲代さんの背中を押した。そして90歳を過ぎてもなお「現役最高齢俳優」として舞台に立ち続け、「赤秋」をまっとうした。

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