「被災したこの地を何とかしたい」思いは同じ
雄勝の風景は、震災前と比べて大きく変わった。復旧工事が進み、かさ上げや道路の整備、住民の高台移転、そして防潮堤の建造――。ガーデンも17年、復興道路の建設のため場所を50メートルほど移動した。
防潮堤の建設に際しては、徳水さんの夫が反対運動の中心となって、行政と何度も話し合いをしたという。徹底的に調べ、書類を書き、それでも決定は覆らなかった。 徳水さんは、こう話す。
「主張が通らなかったからといって『もうダメだ』と切り捨ててしまうのではなく、それならこのコミュニティーのために次は何をしなければならないのか考えるのが大事だと思いました。被災したこの地を何とかしたいのは、住民も行政も同じ。ガーデンの事業は、お互いに意見が合うところを見つけて一緒にやれることをやってきました」
今では高校生や大学生、企業ボランティアなど年間1000人ほどがガーデンを訪れる。花の季節には、色鮮やかな花が園内を彩る。
震災で人口が大きく減った街で、初めは「人に会いたい」と大きな不安があった。だが、
「震災前からの知り合いとは以前とは違った形で、震災後に出会った人たちとは新たに、それぞれつながりができました。それが途切れず、日々の暮らしのなかで繰り返されてきた15年です」
ガーデン運営者のうち、80代の女性がコロナ禍のとき、こんなことを口にした。
「おらたち、行くところ、やることがあって幸せだね」
徳水さんの心に響いた。「これこそ、雄勝のコミュニティーのプラス面ではないでしょうか。この言葉が、私にとっては十分でした」。
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東日本大震災から15年。被災した人々は長い年月の間にどう変わり、今をどう思っているのか。J-CASTニュースでは2026年も、現地取材を通して描きます。
(J-CASTニュース 荻 仁)