東日本大震災で被災した、一人の男性が2026年に入って亡くなった。記者が取材で知り合い、以後も交流を続けていた人物だ。津波で自宅を流され、地元に比較的近い場所に家を再建したが、それでも晩年は生まれ故郷を恋しがったと、家族は話してくれた。
震災と原発事故で、故郷に住めなくなった人は少なくない。帰還困難区域に指定された地域の住民は、帰りたくても帰れない状況が何年も続いた。15年の年月は、ふるさとと被災者のかかわり方を大きく変えた。
5歳の娘を第一に考えて県外避難
福島県では原発事故後の2012年5月時点で、約16万人が県内外に避難した。人数は年を追うごとに減ってはいるが、2024年11月でも2万3701人を数える。
記者が2012年以降に取材した人たちも、決断はさまざまだった。高校時代に飯舘村で被災した若者は、2017年3月31日の避難指示解除後も帰らない選択をした。5年3か月にわたって避難指示が出た葛尾村に戻り、地域の活性化に取り組む男性にも出会った。いまだ多くのエリアで帰宅困難となっている浪江町津島地区出身の女性の場合、避難先の福島市に家を建てた。故郷の家は取り壊した。だが「望郷の念」はしばしば、胸に宿る。
震災時の年齢、住んでいた地域における避難指示の期間、自宅や家族の状況と、自らが置かれた立場と条件に応じて、それぞれが現実的な判断を迫られた。
福島県浪江町出身の歌手・牛来美佳さん。震災当時は5歳の娘を育てるシングルマザーで、全町避難となったため両親や兄の一家と避難した。県内や近県を転々としたのち、郡山市にいったん落ち着く。
「とにかく娘のことを考えて、県外避難を考えました。両親は福島を離れることはないと分かっていたので、なるべく近い場所に」
たまたま、実家づきあいのあった夫婦が群馬県太田市に避難していると聞いた。福島から車で2時間程度の距離だ。早速、太田市役所に連絡したところ、受け入れをサポートしてくれるとのことで話がスムーズに進んだ。2011年5月末のことだった。