2020年 5月 28日 (木)

大応援団の声援に応えるのが「仕事」 でも「名前」で呼ばれると恥ずかしい(山九 大石栞菜さん、大石利樹さん) 前編

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   子どもの頃からフェンシングに、姉弟してハマった。大石栞菜さんと大石利樹さんは共に2020東京オリンピックの代表候補としてメダルを目指す傍ら、物流大手の山九株式会社の総務・CSR部に席を並べる。

   北京、ロンドンと、いまや日本のフェンシングはメダルが期待される種目になった。姉弟は日本のフェンシングチームの一員として、そろって活躍する。そんな大石姉弟の「素顔」に迫った。

  • 大石利樹さんは、兄姉のフェンシングを見て育った(写真は、左が大石利樹さん、右が大石栞菜さん)
    大石利樹さんは、兄姉のフェンシングを見て育った(写真は、左が大石利樹さん、右が大石栞菜さん)
  • 大石利樹さんは、兄姉のフェンシングを見て育った(写真は、左が大石利樹さん、右が大石栞菜さん)

兄姉のフェンシング熱を見て育った利樹さん

――フェンシングを始められたきっかけを教えてください。

大石栞菜さん「利樹が5歳で、私が小学1年生。ふたつ上に兄がいるんですが、私は兄と一緒に始めました。(地元・大分県のフェンシング)クラブが小学1年生からしか、加入できなかったんですね。利樹は、練習場で『やりたい。やりたい』と言って、ずっといっしょにいました(笑)」

大石利樹さん「そうなんです。なので、フェンシングを習っているというより、『練習場に行って、フェンシングの動作で遊んでた』みたいなところがありました」

――なぜ、フェンシングだったんですか?

利樹さん「両親が興味を持っていたようで、そこから......。僕は始めたときの記憶があまりないので(笑)。気が付いたら、ずっとやっているみたいな感じです」

――ご両親がフェンシングをやっていたのでしょうか?

栞菜さん「それがやってないんですよ。なんででしょうね(笑)。私も見学に行ったときに、兄が始めると言ったので、『じゃあ、やる』っていった感じ。そんな記憶しかありません」

――それが小学校の1年生のとき。

栞菜さん「はい」

利樹さん「僕は兄姉が楽しそうにやっていたので。それがあると思います」

―― でも、フェンシング部がある学校はなかなかないと思うのですが......。

栞菜さん「大分はフェンシングが盛んなところなんです。たしかに中学校の部活はあまりないですが、ジュニアクラブに入っていたので、そこで。高校は県内に7校ぐらい部活があって、インターハイの枠を高いレベルで争っていました」

利樹さん「両親が、大分防府高校がインターハイに出場したという新聞記事を見て、近くにあったフェェンシング部の練習場を見学に行ったりもしてくれていました。大分には、いい指導者の方がたくさんいらっしゃるんです」

兄姉が楽しそうにやっていたフェンシングの道へ進んだ(写真左が大石利樹さん)
兄姉が楽しそうにやっていたフェンシングの道へ進んだ(写真左が大石利樹さん)
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