2024年 5月 5日 (日)

「鎌倉殿の13人」 政子への「重すぎる愛」は本物かも? 歴史記録からにじむ大江広元の思いとは
<歴史好きYouTuberの視点>

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   NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の11月13日(2022年)放送回は「第43回 資格と死角」でした。登録者数12万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、「第43回」の関連解説動画で最も熱く語りたかった「ツボ」は?

   動画内容を軸に再解説します。次回放送をより楽しむための準備・復習にもお役立てください。(ネタバレあり)

  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第43回」本編解説動画より
    歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第43回」本編解説動画より
  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第43回」本編解説動画より

視力をほぼ失いながらも...

   いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。

   今回も大河ドラマの内容に合わせて、歴史的な解説をしていきます。

   鎌倉殿の13人第43回『資格と死角』では、三代将軍・源実朝の後継者問題に揺れる鎌倉幕府の様子が描かれましたね。

   先代頼家の遺児である公暁が鎌倉に帰還し、次期鎌倉殿に名乗りを上げますが、実朝は後鳥羽上皇の皇子を鎌倉へ迎え入れる構想をたてていました。

   皇族将軍の下向を実現させるため、北条政子が上洛(幕府公式の上洛ではなく、表向きは熊野詣として)し、皇子である頼仁親王の養育を務めた女性、藤原兼子と対面しました。

   この藤原兼子は、卿二位とも呼ばれ、朝廷の中でも特に身分の高い女性でした。そんな兼子相手に物怖じせずに交渉を行った政子は、政治家としてずいぶん成長した印象を受けました。

   ドラマでは、そんな政子の交渉を裏で支えていたのが大江広元でした。広元は、眼病の後遺症で視力をほぼ失っていましたが、その瞼(まぶた)には政子の姿が焼き付いていると豪語するほど、「重すぎる」忠誠心を抱いていました。

   歴史上の大江広元も、ドラマのように政子を愛していたのでしょうか?

   史料から大江広元の心のうちを知ることは難しいですが、広元と政子の関係性を物語る記録は『吾妻鏡』にも記されています。

   大江広元は、実朝暗殺事件の直前に、実朝の不幸を予感して成人してから初めて涙を流したと記されるほどのクールな人物というイメージですが、そんな広元が突如として熱くなった出来事があります。承久の乱です。

   北条義時追討の院宣を出した後鳥羽上皇に対し、幕府は抗戦する構えを見せました。しかし幕府軍は、守勢に徹するか打って出るかで戦略がまとまらずにいました。

   この時、出陣を主張したのが大江広元です。

   長期戦による寝返りを危惧したのかもしれませんが、広元は生粋の文官で、合戦に関してはプロフェッショナルではありません。

   それでも政子は広元の意見を採用し、北条泰時が先陣を切る運びとなりました。

   広元が出陣すべきと強く主張した理由は定かではありません。もしかすると政子の演説によって、もっとも焚きつけられたのが広元だったのかもしれません。

義時の死後、政子と伊賀の方が対立すると...

   また、北条義時の死後、次期執権の座を巡って政子と義時の後家・伊賀の方が対立する伊賀氏事件が勃発しますが、この時も広元は政子を支持しています。

   この伊賀氏事件には様々な憶測がありますが、平安・鎌倉時代の常識として、夫が亡くなった後の財産権は、未亡人となった妻=後家が相続する決まりがあります。そう言った意味では伊賀の方が義時の名跡を誰に継がせるかを決定することは、不自然なことではありません。

   これを謀反として糾弾した政子を、広元が全面的に肯定した背景には、もしかするとドラマで描かれたような「愛」があったからかもしれません。

   嘉禄元年(1225)、大江広元は78歳で生涯を閉じました。その約一カ月後に政子もこの世を去ります。

   史料からは、2人の間にどのような感情があったかはわかりませんが、お互いがお互いを信頼し合い、幕府運営に尽力していたことは事実でしょう。

   鎌倉殿の13人も残り僅か、幕府のブレーン大江広元の晩年がどのように描かれていくのか。「重すぎます」と言われた政子との関係に進展はあるのか?(笑)

   今後も目が離せません。

    さて、今回の記事はここまで。ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!

   (追記:参考文献など)今回の参考文献は、『人物叢書 大江広元』(上杉和彦著、吉川弘文館)や『現代語訳 吾妻鏡』(吉川弘文館)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。

   <今回の記事下動画は、本編解説ではなく関連解説ものです。(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>


++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2022年夏には登録者数が12万人を突破した。

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