【連載】ブロードバンド“闘争”東京めたりっく通信物語
27. NTT局舎という聖域の開放

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「あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃
「あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃

   交渉の最初から最後まで、双方が譲り合わず郵政省も明確な態度を示さなかった争点に回線使用料金問題がある。

   電話線を重畳利用するADSL通信が生じたとしても、はたしてNTTに従来の電話基本料金(月額1,600円位)以上の負担が発生するのか、多分発生しないだろうというのが我々の判断であった。

   従って、回線使用量はゼロ円、これがTMCの主張であった。しかしNTTは断固としてこれは譲らなかった。いくらで使わせるか、それはNTTの専権事項であり、接続交渉の対象課題ではないと言い切った。また、その徴収はNTTがやるという。

   料金問題は、NTTの政治的面子がかかっていたようだ。法的解釈は苦手だったが、ゼロ円の主張を引っ込めない限り、ADSL事業が成り立たない程のADSL潰しの法外な料金は吹っかけられないだろうとこちらも一歩も譲らなかった。

   また、交渉相手の相互接続推進室が自立的に決められる争点でもない。

   結局、1999年末の商用試験サービス直前に、我々は月800円という暫定料金を提示された。NTT経営陣トップまで上がって、降りてきた政治的数字であった。月5,000円台の定額料金を想定していたTMCがのめる金額ではない。

   金額問題についてばかりは、郵政省はずっと沈黙を守ったが、その理由は不明である。1日も早い実験開始という実を取り、料金徴収権はTMCにあるという妥協を経て我々は引き下がった。

   そして翌年、本格サービス開始時点ではこの回線使用料金は165円までに下がり、現在はこの値で落ち着いているようだ。国民投票でもやれば圧倒的にゼロ円が勝つものを、今でもこの件は残念だ。

   最後の争点に移る。ADSL事業実現のために最も労苦の多い接続交渉課題がいわゆるコロケーション問題であった。これは、その後、マスコミや郵政省が好んで話題にしたDSLAM置場の家賃の高低につきるものでなく、それまで不輸不入の地とされたNTTの聖域(サンクチュアリ)たる電話局舎の非NTT通信事業者への開放を巡るより広範な戦いであったといえよう。

   結果から言えば、試験サービスに向けた接続交渉において我々はNTTの固いガードを突破出来ずに終わった。

   多くの対立点が翌年以後に持ち越された。成果は辛うじてDSLAM設置空間の家賃が、1架(DSLAM収容ラックで1坪弱を占める)15万円から20万円という非常識な値段を常識的な値段に引き下げるまで支払い拒否を貫く消極的抵抗を認めさせたくらいである。

   何が聖域かというと、NTTないし既定の認定事業者以外は、例外なく設備設置局舎領域には立ち入りできない。警察、消防などの公共的回線も収容しているから厳重に防衛しているのだそうだ。

   従って、設備搬入や工事、日常の運用などは、TMCが直接にも間接にも指揮が取れない。全て上述の指定NTT業者が実行者だという。そしてその指揮を取るのは、NTTだ。いつ工事を始めるか、終わらせるか、全部NTTが決めるというのだ。

   完全な計画経済システムである。さらに局舎に配置するTMC設備に関する詳細資料をNTT書式に厳密に従って作成提出せよという。それなしには、NTT側は設置工事も完了試験もやらず試験サービスは始められないと言われた。

   因みに概要を記すと、装置諸元、個別キャビネット諸元、共有UPS使用時の電力線系統図(個別キャビネット)、個別キャビネット搭載図、通信配線系統図(低速系)、装置実装(背面)図、機器別結線表とある。他に、既述のADSL機器スペクトラム図、特性図などが局舎ごとに、である。

   要するに、局舎内の出来事は、NTT以外に指1本触れさせないという考え方で貫かれていた。ここだけは見事にアンバンドルされていなかった。工事費や運用委託費の客観性はNTT任せ。また、納期も言いなりだ。

   こんな制約下で、果たして今後何十、何百と局舎を開放して工事を打ち、通信事業を運用していけるのだろうか、こんな不安と自信喪失に我々は陥った。

   何かブレークスルーが要る。しかし数ヶ月の短期間で、長期の惰性で動いているこの仕組みを組みなおすのはまず不可能だ。ここは寝たふりをするしかあるまい。コロケーション、すなわち同じ屋根の下で公平に競争的共存をはかる試みは、失敗に終わった。

   ただし、余りの窮屈さに、通信機器の監視体制やトラブル発生時の切り分けなど、遠隔監視体制により運用する提案をTMCはNTTにぶつけている。さすがにこれに反対する声は上がらなかった。

   こうして翌年の2000年に、TMCはこのNTT側の工事運用部隊をNTTから切り離すことに成功する。NTT組への指揮権は、TMCが実質的に掌握する事となった。

   従来の慣行を打ち破ってしまったのだ。電話事業工事で何千人も生活して来たNTT組にしてみれば、メタル線放棄を公言するNTTは親に捨てられたのも同然だ。メタル線を活用すると公言するTMCに同情するのはある意味当然かもしれない。

   なおNTT電話局舎への他事業者の立ち入り禁止状態は、その後、例によって郵政省の圧力で格段に改善されてゆく。さらに、電話局に結線されている電話線の数、コロケーションスペースの在不在、装置用電源、工事申し込みから工事終了期間など、局舎内にいわば秘匿されていた情報も、迅速正確に開示されるようになっていく。

   こうしたものを総称して局舎という聖域の開放と呼ぶなら、TMCはその最初の受難者であるとともに最初の開放者になったのだ。

   以上で触れた以外の未解決争点は、次のようであった。

(1)中継線光ファイバーの貸し出し(アンバンドリング)
(2) SDSLの解禁
(3) ADSLモデムの売り切り

   これについて説明すると、モジュラージャックの先にモADSLモデムを取り付けるには、国家資格をもった技術者の立会いが法律によって義務付けられていた。この資格者なしのモデム売り切りは、近い将来の大量普及では不可欠な措置と考えられていたのである。


【著者プロフィール】
東條 巖(とうじょう いわお)株式会社数理技研取締役会長。 1944年、東京深川生まれ。東京大学工学部卒。同大学院中退の後79年、数理技研設立。東京インターネット誕生を経て、99年に東京めたりっく通信株式会社を創設、代表取締役に就任。2002年、株式会社数理技研社長に復帰、後に会長に退く。東京エンジェルズ社長、NextQ会長などを兼務し、ITベンチャー支援育成の日々を送る。

連載にあたってはJ-CASTニュースへ

東京めたりっく通信株式会社
1999年7月設立されたITベンチャー企業。日本のDSL回線(Digital Subscriber Line)を利用したインターネット常時接続サービスの草分け的存在。2001年6月にソフトバンクグループに買収されるまでにゼロからスタートし、全国で4万5千人のADSLユーザーを集めた。

写真
撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年~2003年)
鷹野晃
写真家高橋曻氏の助手から独立。人物ポートレート、旅などをテーマに、雑誌、企業PR誌を中心に活動。東京を題材とした写真も多く、著書に「夕暮れ東京」(淡交社2007年)がある。

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