2024年 4月 23日 (火)

気仙沼に今も残る巨大漁船どうする 「震災の記念碑化」に市民戸惑い

   東日本大震災から2年にあたる2013年3月11日、テレビからは多くの特別番組が流れてきた。中継地として頻繁に登場したのが宮城県気仙沼市だ。

   津波で陸地に打ち上げられた巨大な漁船が、今もその姿をさらしている。徐々に復興へ向けて歩み出す気仙沼だが、この「震災の象徴」をどう扱うか、市民の間で戸惑いが広がっている。

「船がなくなったら誰も来なくなってしまう」

第18共徳丸の取り扱いをめぐり、市民の間で意見が分かれる
第18共徳丸の取り扱いをめぐり、市民の間で意見が分かれる

   第18共徳丸。全長約60メートル、総トン数330トンの大型巻き網漁船は、震災から2年が経過しても津波で流れ着いた場所に置き去られたままだ。J-CASTニュースの記者が2013年3月24日に現地を訪れると、多くの人がやって来てカメラやスマートフォンで次々に写真を撮っていた。観光気分の浮かれた雰囲気はなく、船体の前に設けられた簡易な祭壇に手を合わせる人も多いが、撮影をちゅうちょする様子はない。記者は1年前にも同じ場所に来たが、この時はほんの数人が車で来ては遠慮がちにさっとカメラを向けて、すぐに引き上げていた。時間の流れとともに人の意識も変わってきたようだ。

   船が打ち上げられた気仙沼市鹿折(ししおり)地区は、津波に襲われたうえに震災当夜には大火災が発生して、一帯が焼けつくされた。積み上がっていたがれきや、焼け焦げた車の残骸の山も、今ではすっかり片づけられ、震災後に建てられたと見られる一部の仮設の建物を除けば目の前には広大な「空き地」が広がる。

   第18共徳丸をめぐっては、震災や津波による悲惨な体験を風化させないためにも保存しようとの動きがある。一方で船を所有する水産会社は、4月にも解体する意向を市側に伝えた。菅原茂市長は2013年3月25日の会見で「保存を諦めたわけではない」と話したという。

   市民の間では賛否が分かれる。保存に気が進まない表情を見せたのは、佐々木洋一さん(72)。1年前に記者が当地を訪問した際にガイドを務めてくれた男性で、津波により自宅が全壊している。「うーん、どうだろう。(保存施設を)つくるのは簡単だけど、維持管理にどれだけお金がかかることか」。それ以上多くを語らなかったが、被災経験を呼び起こさせる大型船をいつまでも残しておきたくないのかもしれない。逆に、鹿折地区の高台に住む女性は「私はぜひ残してほしい」ときっぱり言い切った。「船がなくなったら、誰も鹿折に来なくなってしまうから」。

   皮肉なようだが記者が訪問した日、がらんとした光景が広がる鹿折で人が集まっていた唯一とも思える場所は、第18共徳丸の周辺だった。住民にとって、どんな理由にせよ「集客力」が見込めるものを安易に撤去しては、ますますさびれてしまうとの考えも一理ある。

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