2024年 4月 25日 (木)

川田亜子は「適応障害」? ブログに書いた数々の「死の兆候」

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   元TBSアナウンサーで、現在はフリーアナとして活躍していた川田亜子さんが2008年5月26日に自殺した。死の直前まで綴っていたブログには「仕事の合間が一番苦痛です」「言葉が・・・出ないので」などと精神的に不安定だったと思わせる記述がある。ブログの記述やテレビでの最近の川田さんの様子から、精神科医は「鬱(うつ)と不安を伴う適応障害」と診断、「何らかのショックな出来事があった」と見る。

「母の日に私は悪魔になってしまいました」の意味

ブログで「一番苦痛であります」と書いた川田亜子さん
ブログで「一番苦痛であります」と書いた川田亜子さん

   川田さんに「壊れていく」兆候が見られたのは2008年5月に入ってからだ。

「先週から口が回らなく、どうしたものかと悩んでおりました。普段から喋りがなめらかとは言えない私にとっても心配であり、不安が押し寄せてきます。特に心あたりもなく(中略)人生は無常ですね」(5月7日)
「いつもの私がまだ見つけられません」(5月8日)

   「母の日に私は悪魔になってしまいました」と川田亜子さんが自身のブログで綴ったのは2008年5月12日のこと。「産んでくれた母に、生きている意味を聞いてしまいました。母の涙が 私の涙がとまりません。母の涙が耳の奥で響いているのです」 と続く。

   5月14日のブログでは「元気になるまで、皆さんとこうしてお話をするのを休憩させていただきます」と突如「ブログの休止」を宣言。しかし、同日に「やっぱり 自分の気持ちが伝えられないのは寂しいですね」とブログを再開していた。5月21日には「言葉が・・・出てこないので、今日は書くのをやめようと思います」と書いており、最後に川田さんが書いたとみられる5月22日のブログでは、

「仕事の合間 一番苦痛であります。昔は本を読んだりお茶をしたり、ぽーとしたり。楽しかったのに…今はせつないです。豪華なホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている方々を眺めてながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます」

と書いている。

「不幸のどん底にいる気分なんでしょうね。(川田さんは)やはり鬱と不安を持っていた。ブログを書いているので重度のうつ病ではないでしょうが、適応障害と見られます」

   こう診断するのは精神科医の町沢静夫氏だ。適応障害とは辛い状況に直面して精神的に参ってしまい、社会生活に支障をきたす状態を指す。

   町沢医師は5月12日の「母の日に私は悪魔になってしまいました」と書かれたブログについて、「死ということを考えていたのだろう」と推測している。

何らかのショッキングな出来事があった?

「何らかのショッキングな出来事があってそれがダメージを与えていたと見られます。本来なら、そのダメージについて解決しなくては危ないのですが、(川田さんの)『大丈夫』という言葉に周りも引きずられたのでしょう。症状を軽くすべきだが、(川田さん)個人でも解決できず、第三者に解決してもらおうという気もなかったのではないでしょうか」

   08年5月中旬にテレビ出演した川田さんを見る限りでは、「表情もなく、かつての美しい姿からすればひどい状態だった」と町沢医師はいう。

   さらに、川田さんを苦しめたと思われる「最後のテレビ生出演」もあった。08年5月24日に生放送されたテレビ朝日系番組「サタデースクランブル」。川田さんも司会を務めたこの番組では、青木ヶ原樹海での自殺を扱った特集もVTRで放映されていたのだ。川田さんは終始うつろな様子で、VTR放送後に時折見せる笑顔も今となっては不自然にしか見えない。

   所属事務所は2008年5月26日に

「5月上旬頃から様子がおかしいと感じ、本人に直接確認したところ大丈夫だと言っていました。体調が悪い様子ではありましたが、心配しつつも仕事はしっかりとしていたので安心していました。今回の件につながる理由が皆目見当もつきません。所属事務所としては、本当に驚いているとしか言えません」

とコメントをマスコミ各社に発表しており、「自殺」の背景に何があったかは今のところ明らかになっていない。

   異性関係の悩みやフリー転向後の仕事上の苦悩が、一部のマスコミのあいだで「自殺の原因」ではないかといった推測を生んでいる。それが川田さんに「自殺に至るほどの大きなダメージを与えた出来事」なのかはなおも不明だ。

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