2024年 4月 24日 (水)

あのときから1467日、よみがえる緊迫の記憶【福島・いわき発】

建築予定地やご希望の地域の工務店へ一括無料資料請求

   庭のジンチョウゲのつぼみがほころび始めた(=写真)。スイセンも咲きだした。春が目に見えるようになってきた。



   あのとき、真っ先に春を感じたのは14日だった。朝から暖かい南風が吹いていた。2日前の12日午後、1Fの1号機建屋が爆発した。その影響がどんなものか、まるで知らなかった。


   朝、あずかった孫(当時4歳と2歳)がダンゴムシを見たいというので、庭で遊ばせていた。屋内退避などは頭になかった。午前11時半ごろ、父親が駆け込んできた。「3号機(の建屋)が爆発した、中に入れて!」。あわてて1人ずつ抱えて、家の中に入った。すぐテレビをつけた。福島中央テレビが爆発して黒煙を上げる3号機建屋の様子を繰り返し映していた。


   それを見て、「また避難か」と覚悟した。なぜまたかというと、五十数年前、小2になったばかりの昭和31(1956)年4月17日夜、阿武隈山中のわが町が大火事に遭い、家族がばらばらになって避難した経験があるからだ。


   大火事では、命以外はすべて灰になった。原発事故では......。避難しないと生命が危うい、状況によっては帰れなくなるかもしれない。人生の朝と夕方に避難する運命だったのか、と観念した。


   わが家は沿岸から5キロほど内陸に入っているので、津波被害は免れた。地震で家が倒壊するようなこともなかった。個人的には「3・11」と同じくらいの重さで、原発避難をした「3・15」も忘れがたい日になった。


   あるとき、フェイスブックで「震災から1300日」ということばに出合った。「年」「月」ではなく、「日」で数えることは、毎日、3・11を思うことでもある。それをまねて日記に「1XXX日」と付けはじめた。


   今年の3月11日は、あれから「1462日」目だった。ところが、当日の新聞に載ったある全面広告には「1461日目」という文字が躍っていた。4年前の3月11日を入れて数えると1462日だが、次の日からだと1461日になる。次の日から復旧・復興へと歩みを始めたという意味で「1461日目」としたのだろうか。


   きょう(3月16日)は、あの日から1467日だ。ちょうど4年前、3・11から6日目は、那須甲子青少年自然の家で初めての朝を迎えた。「日めくり」で振り返ったら、そのころの日々の記憶が一気によみがえってきた。

(タカじい)



タカじい
「出身は阿武隈高地、入身はいわき市」と思い定めているジャーナリスト。 ケツメイシの「ドライブ」と焼酎の「田苑」を愛し、江戸時代後期の俳諧研究と地ネギ(三春ネギ)のルーツ調べが趣味の団塊男です。週末には夏井川渓谷で家庭菜園と山菜・キノコ採りを楽しんでいます。
■ブログ http://iwakiland.blogspot.com/

姉妹サイト

注目情報

PR
追悼
J-CASTニュースをフォローして
最新情報をチェック
電子書籍 フジ三太郎とサトウサンペイ 好評発売中