【震災6年 ふるさとの今(3)福島県相馬市】
いまだに「試験操業」が続く漁業の街 風評被害をチャンスに変える

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   東日本大震災と東京電力福島第1原発の事故で、福島県の農業や水産業、畜産業は大きな痛手を負った。漁業は、震災から6年たった今でも、魚種や海域を絞っての試験操業の段階が続いており、水揚げ量は本操業時の10分の1程度だ。

   漁業関係者は、被災したうえに漁を制限され、そして「風評被害」と二重、三重の苦難に見舞われている。それでもくじけず、ピンチをチャンスに変えようと活動する地元の人たちがいる。

  • 「ホテルみなとや」専務の管野貴拓さん
    「ホテルみなとや」専務の管野貴拓さん
  • 管野さんと食事を囲みながら話す菊地基文さん(写真右)
    管野さんと食事を囲みながら話す菊地基文さん(写真右)
  • 相馬原釜魚市場では、水揚げされた魚の処理が行われている(2016年12月撮影)
    相馬原釜魚市場では、水揚げされた魚の処理が行われている(2016年12月撮影)

「お涙ちょうだい」では長続きしない

   福島県北部、相馬沖は豊かな漁場だ。震災前はおよそ200種の魚が水揚げされていたが、2017年3月時点では試験操業にとどまっている。漁に出られるのは週2回程度で、許可された魚種は97種まで回復してきたが、それでも以前の半分程度だ。

   景色が美しい松川浦を臨む「ホテルみなとや」の専務、管野貴拓さん(41)。以前は、新鮮な魚介類を目的に福島県内や、車で1時間程度の距離にある仙台市から客がやって来たが、「今は、純粋な観光客はいません」と明かす。

   震災直後、被災した火力発電所の復旧のため大勢の作業員が宿を求めてやって来た。みなとやは1階が被害を受けたが、「車中泊続きで体力が限界」と頼み込まれて2階より上に泊まってもらった。復興作業が一段落した現在では、地元の人や工事関係者が主な宿泊客となっている。

   管野さんは、今後、観光客が戻ってくるのかを危惧する。かつては黙っていても、魚を食べたいと遠方から人が訪れた。「作業員や地元の宿泊者がいなくなった後、どうするか」を早い段階から考えていた。

   近くに、強力なパートナーがいた。漁師の菊地基文さん(40)だ。小学校の時から顔見知りだったが、急速に距離が縮まったのは震災がきっかけだった。話を重ねるなかで、ふるさと・相馬を元気にしようと共感し合った。

「『お涙ちょうだい』では長続きしない。ファンをつくって、相馬に来たいと思ってもらうために自らアピールしていこう」

   震災前、菊地さんは連日沖に出ており、仕事以外に時間を生み出す余裕はとてもなかった。だが今は試験操業中のため、比較的プライベートな時間がある。そこで、漁業と観光を組み合わせて人を呼びこむプランを協力して練った。

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