2020年 10月 29日 (木)

稼働可能なYS-11が静態保存になるのは「東京五輪の影響」? ネット拡散の噂、科博に確認すると...

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   戦後初めて就航した国産旅客機であるYS-11の数少ない保存機の、羽田空港からの解体移設が始まっている。これは茨城県の展示施設に移設されるためだ。

   ところが、折しも2020年に東京五輪を控えているため、「五輪のせいで貴重な近代化遺産のYS-11が追い出された」という風説がネットで拡散されていた。この噂は本当なのか。そしてなぜ羽田を離れることになったのか――。J-CASTニュースが調べてみると、重厚長大な遺産を保存する難しさが背景にあった。

  • 羽田空港で保管されていたYS-11量産1号機(国立科学博物館提供)
    羽田空港で保管されていたYS-11量産1号機(国立科学博物館提供)
  • 羽田空港で保管されていたYS-11量産1号機(国立科学博物館提供)

「ことさらに五輪だからというわけではない」

   YS-11は1964年に就役。量産1号機のJA8610は運輸省航空局で使用され、退役後、国立科学博物館(科博)が保有し、羽田空港の格納庫で保存されていた。

   しかし2019年11月、羽田空港から茨城県筑西市のテーマパーク「ザ・ヒロサワ・シティ」への移設が決まったことが報じられ、解体・移設作業が始まっている。当時、「五輪に向けて羽田空港の拡張が行われていて、YS-11の保存場所がなくなっために移設」という噂がネットのSNSから広がった。

   これは本当なのか、YS-11の担当・保管を行ってきた科博産業技術史資料情報センター長の鈴木一義氏が取材に応じ、五輪の影響ではないとした。鈴木氏によれば、当該のYS-11は1999年に退役後、科博が所管し、当時国際化前で余裕があった羽田空港周辺での航空宇宙博物館構想で、展示の中核になることが期待されていた。しかし、03年以降、羽田空港の国際化による拡張が進み、もともとの保管施設は解体されたため、国土交通省航空局や航空会社のハンガー(格納庫)を借用し保存してきたという。

   科博では04年頃から羽田での博物館構想は難しいとの認識を持ち、本機の移転を検討。国内各地の博物館や空港への移設などが検討されたが頓挫し、19年8月にザ・ヒロサワ・シティとの移転合意が結ばれたという経緯があった。

「羽田空港では03年以降拡張工事や施設増設が行われており、当時から羽田空港内での保管場所の確保、またテロ対策の影響もあって公開も難しい状況が続いていました。長年にわたり検討を行ってきた結果が、ザ・ヒロサワ・シティへの移設となったものです。ことさらに五輪だからという訳ではありません」(鈴木氏)
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