2024年 4月 16日 (火)

石巻と気仙沼、「臨時災害放送局」の今 地域第一のコミュニティーFMとして【震災9年 東北と復興五輪(3)】

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   自然災害が発生すると、市町村は住民への災害関連情報を提供する「臨時災害放送局」を開設できる。総務省によると東日本大震災では岩手、宮城、福島3県で24の自治体に上った。2018年3月31日までにすべて閉局したが、中にはコミュニティーFMとして今も放送を続けている局がある。

   地域と密着し、市民のための情報を提供する小さなFM局は、「復興五輪」に何か感じるものはあるだろうか。

  • ラジオ石巻のスタジオは現在、JR石巻駅に近い建物にある
    ラジオ石巻のスタジオは現在、JR石巻駅に近い建物にある
  • ラジオ石巻のスタジオは現在、JR石巻駅に近い建物にある
    ラジオ石巻のスタジオは現在、JR石巻駅に近い建物にある
  • 震災から9年の気仙沼中心部。写真中央に、現在工事が進む三陸沿岸道路「気仙沼湾横断橋」と、その後ろに昨年開通した気仙沼大島大橋が見える
    震災から9年の気仙沼中心部。写真中央に、現在工事が進む三陸沿岸道路「気仙沼湾横断橋」と、その後ろに昨年開通した気仙沼大島大橋が見える
  • ラジオ石巻のスタジオは現在、JR石巻駅に近い建物にある
  • ラジオ石巻のスタジオは現在、JR石巻駅に近い建物にある
  • 震災から9年の気仙沼中心部。写真中央に、現在工事が進む三陸沿岸道路「気仙沼湾横断橋」と、その後ろに昨年開通した気仙沼大島大橋が見える

震災を語り継ぐ番組を今も放送中

   「石巻コミュニティ放送」(ラジオ石巻、宮城県石巻市)は1997年に放送開始し、石巻市と東松島市をカバーする。2011年3月11日、石巻市は津波で沿岸部が壊滅的打撃を受けた。スタジオは内陸部にあったため津波を免れたが、その日の夜にバッテリーが切れて放送が途絶えた。そこで市街地にある高台の日和山公園の送信所にスタッフを送り、機器をつなぎテントを張って3月13日に「青空スタジオ」を開設。公園に避難していた被災者から「家族の居場所がわからない」という声が寄せられ、市民の安否情報を流し続けた。

   その後、臨時災害放送局「いしのまきさいがいエフエム」として災害関連情報を提供。石巻市役所にも臨時局を設け、一時は2局で運用した。震災前から地元に根付いたFM局だったので、市民にとってはなじみのある、信頼できるメディアとして活用された。

   2015年3月に臨時災害放送局の役割を終え、コミュニティーFMに戻った後も、震災を語り継ぐ番組「市民とつなぐ『あなたの出番』です」を続けている。毎回ゲストを招いて震災当時の体験談を聞き、次のゲストを紹介してもらってバトンをつないでいく。2020年3月23日の回は、石巻市でブライダル事業を手掛ける女性が登場。発災時は首都圏在住で、実家と連絡が取れたのは1週間後、姉の携帯電話に偶然つながって状況を知ったと話した。

「話をして楽になった、(震災後)1~2年たってようやく話せた、という声を聞きます。『これは(番組を)やってよかった』と思います」

   ラジオ石巻専務取締役・高須賀精一郎さん(69)は、こう話す。自身、津波で自宅1階が水没。近くのビルに避難し数日間孤立した。津波のごう音の後、恐ろしいまでの静寂が続く中、耳にした音楽が心にしみ、涙が出たと振り返る。実はラジオ石巻にも、被災したリスナーから「音楽が聴きたい」とリクエストがあり、2011年4月から音楽を流し始めたそうだ。このように市民の要望にこたえ、「自分たちのラジオ局だと思ってもらう」番組作りを心掛けている。

「心の復興ができてこそ、真の復興」

   宮城県によると2020年2月29日現在、東日本大震災で亡くなった人は石巻市が県内最多の3552人、気仙沼市が1218人とこれに次ぐ。あまりにいたましい事実だ。

   気仙沼市でも震災後に臨時災害放送局「けせんぬまさいがいエフエム」が立ち上がった。当時は「給水車がいつ、どこに来る」「電気、ガス、水道の復旧状況」「病院や学校の再開情報」といった市の広報内容を放送していた。2017年6月に役割を終えて閉局すると、コミュニティーFM「ラヂオ気仙沼」に衣替え。災害復旧情報だけでなく、生活一般の情報番組の放送をスタートした。

   ラヂオ気仙沼代表取締役の昆野龍紀さん(62)に、番組作りで心がけている点を聞くと、「ハード面の復興は進んできたが、心の復興ができてこそ、真の復興なので、復興を後押しできる番組を制作している」とメールで回答した。合わせて、市が提供する情報を正確に、聞きやすく伝える番組構成をしているという。

   ラジオ石巻とラヂオ気仙沼、いずれも地域に密着し、リスナーととても近い距離にある。双方に、地元における「復興五輪」の受け止めを聞いた。

   ラジオ石巻の高須賀さんは、地元の人と接する中で感じるのは、「復興」と付けられた点への関心が薄いことだという。もちろん日本人選手の活躍を祈り、競技自体を楽しむだろうが、そこに「復興」を見いだす特別な感情はない。一方、ラヂオ気仙沼の昆野さんは、「私の周りは、楽しみにしているようです」と答えた。チケットを申し込んだ人も多かったという。

   思いは、さまざま。おりしも新型コロナウイルスの感染が世界中で深刻になるなか、東京五輪・パラリンピックの1年程度の延期が決まった。2021年開催なら、「震災から10年」と重ね合わせる報道が増えるかもしれない。それでも石巻や気仙沼の人々は冷静に「復興五輪」を見つめているだろう。

(J-CASTニュース 荻 仁)

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