2021年 8月 1日 (日)

外岡秀俊「コロナ 21世紀の問い」(3) 隠喩としてのコロナ

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かつては結核とガン

   ソンタグは隠喩に飾り立てられた病の典型として、19世紀の「結核」と20世紀の「ガン」を取り上げる。いずれも、当時の医療水準では手に負えない正体不明の病とされた。

   不治の病であれば、本人に病名を知らせることは死刑宣告にも等しい。だが、心臓病の患者に病気を隠そうとする人はいない。結核やガンの患者に病名を知らせないのは、そこに何か不吉なもの、おぞましいものが感じられるからだ。

   ソンタグによれば、語源的には結核もガンも、「突起」や「腫物」に由来し、区別されなかった。それが区別されるようになったのは、19世紀に細胞病理学が進み、結核が細菌性の伝染病であり、ガンが細胞活動の一種であることが分かってからだ。

   近代以前の流行病は、「病気は悪行への罰」という反応を引き出し、「病気は社会に対する審判」だという価値観をもたらした。トゥキィディディスは紀元前430年のアテネで発生したペストが無秩序と無法状態を生み出したことを描き、ボッカチオの「デカメロン」は、1348年のペストの大流行がフィレンツェにもたらした堕落や悪行を暴き出した。

   だが、近代以降は、審判は社会にではなく個人に下されるという病気観が広がり、病気は個人の性格や感情の発露という見方が支配的になる。19世紀の芸術家は結核をロマン派風に抒情的に描き、患者を「繊細」さと「憂愁」のイメージで彩った。

   20世紀になって結核の治癒が一般化すると、代わってガンが不治の病の主役になる。ソンタグによると、ガンをめぐる比喩は、「憂愁」からその魅力を引き去った「暗鬱」のイメージである。得体の知れないガンは「殺し屋」として描かれ、患者は「ガンの犠牲者」として描かれる。病気の心因説では病気になるのも回復するのも最終的には病人の責任なので、「魔性の敵」とみなされるガンは命を奪う病気であるのみならず、「恥ずべき病気」にもなる。

   こうして病は、社会からさまざまな隠喩を投射されるが、その負のイメージが定着すると、今度は病自体が、社会に対する隠喩となる。ヒトラーは1919年のユダヤ人攻撃演説で、ユダヤ人こそ「諸民族の間に人種的な結核」を生み出すと非難し、30年代になると、ユダヤ人問題をガンにたとえ、その治療のためには周辺の健康な組織の多くを切除しなくてはならないと説いた。

   こうして政治の場でガンを比喩として持ち出せば、それは即刻、暴力や強硬手段を使わなければ生命にかかわるような社会的疾病を意味するようになる。それはイデオロギーや政治的な信条とはかかわりがない。トロツキーはスターリン主義を指して「マルクス主義のガン」と呼び、中国では文化大革命を主導した四人組を「中国のガン」にたとえた。アラブ陣営はイスラエルを「アラブ世界の心臓部に巣食うガン」と呼んだ。それは、すぐに切除しなければ命にかかわる疾患を意味し、強硬手段を誘発する比喩として使われる。

   ソンタグはガンに関する記述の多くに戦争用語が使われることに注意を喚起している。ガン細胞はたんに増殖するだけでなく体を「侵し」、体のずっと離れた部位に「植民地を作る」。体の「防衛力」が弱ければ、「腫瘍の侵略」が続き、ガン細胞を「殺す」ためには、患者の命さえ救えれば、体にどんな害があってもかまわない、とされる。

   こうして病は、社会からさまざまな負のイメージを投射され、やがてはそれ自体が強烈な隠喩となって社会を動かしていく。

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