2021年 8月 3日 (火)

外岡秀俊「コロナ 21世紀の問い」(3) 隠喩としてのコロナ

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スーザン・ソンタグの分析を吟味

   コロナウイルスの医療対応にあたった会員は参加を自粛した。しかし、同じ職場の関係者や先輩後輩が濃厚接触した可能性は消し去れない。23日に札幌に帰った私は、その日から自宅での「自主隔離」に入った。その6日目の28日には北海道の鈴木直道知事が独自の「緊急事態宣言」を出し、3月19日にいったん宣言は解除されたものの、4月7日には政府が緊急事態宣言を出し、5月4日に延長された。「自主隔離」を始めてから「巣ごもり」は、ほぼ3か月になる見通しだ。

   その間、かつて読んだ本を再読することが増えた。あらゆる災害や大事件がそうだが、暮らしを支える日常性という文脈が大きく変わると、読むものや見るものが、それ以前とは一変することがある。人工照明のもとで見ていたものが、太陽光のもとで本来の輝きや質感を取り戻すのに似ている。

   私にとってはアルベール・カミュの「ペスト」がそうだった。かつては極限状態にある人間を描く寓話や仮構ととらえていた物語は、まさにコロナ禍の「今」を描くリアルな人間ルポと思えてくる。

   理不尽な批判や非難にさらされたDMATのことを考えながら、もしやと思い手に取ったスーザン・ソンタグの「隠喩としての病い エイズとその隠喩」(富山太佳夫訳、みすず書房)も、自分にとっては、今まさに再吟味すべき本だと思えた。

   米国の文芸批評家ソンタグは、75年にガンに罹っていると知り、78年に「隠喩としての病い」を書き、89年にはその続編というべき「エイズとその隠喩」を発表した。本書はその合本の翻訳である。

   ソンタグの仕事は写真論や映画論など多岐にわたり、「文明批評家」の呼称がふさわしい。人の病をテーマに取り上げたこの本も、彼女という大樹が伸ばした多くの枝の一つであり、その後、この「病の文化誌」という枝から無数の小枝が茂り、花々を咲かせている。

   彼女の批評のターゲットと、方法論は明快だ。病は病ととらえ、患者はその時々の医療水準に応じた治療を受けるしかない。だが、真に病に向き合うには、そこに投射されるさまざまな不安や恐れ、意味づけをはぎ取り、病にまつわる「神話」を解体しなければならない。

   自らガンになったソンタグは、患者が社会からスティグマ(烙印)を押され、差別や偏見の対象となることを知った。なぜ、どのようにして病はスティグマとなるのか。それを文化史や文芸史にたどって考察したのがこの本だ。

   「隠喩(メタファー)」についてソンタグは、アリストテレスが「詩学」で用いた簡潔な定義を引用する。「隠喩とは、あるものに、他の何かに属する名前をつけることである」。

   あるものを、それとは違う何かに似ている、と思うこと、そう想起させることが隠喩ということになる。つまり人は病に対し、病ではない何かの意味を投射している。それがソンタグの批評の出発点だ。

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