2021年 8月 5日 (木)

外岡秀俊「コロナ 21世紀の問い」(3) 隠喩としてのコロナ

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ソンタグならコロナ禍をどうとらえるか

   ソンタグがもし生きていたなら、今回のコロナ禍をどうとらえるだろう。

   新型コロナウイルスは、かつて登場した流行病の初期段階と同じく、治療薬もワクチンもまだない。厄介なのは、感染力が強いのに、無症状や軽症で終わる人もいる一方、急速に重篤化して死に至る人も多い点だ。誰が感染しているのか、自分が感染しているのかすらわからないという宙づりの感覚が、不安の根源にある。

   その不安は、感染者や濃厚接触者、さらには、あろうことかその治癒にあたる医療従事者にまで投射され、差別や偏見を生み出す。

   「万人の万人に対する不信」という全方位型の対人不信が、日常に根をおろして歯止めがきかなくなってしまう例といえる。

   さらに、平穏な日常をかき乱す「外来性」の流行病という隠喩は、外国人や移民に対する敵意や拒否をかき立てがちだ。

   多くの国家指導者は今回のコロナ禍に「戦争」という比喩を持ち出し、行動制限や営業制限を訴えた。強力な感染には隔離が必要で、一時的には強硬措置もやむを得ない。だがその一方で、経済活動が停滞し、困窮が進んで社会の不安が高まれば、「感染防止」の旗印のもとに、強硬措置が常態化する恐れも否定できないだろう。

   「新型コロナウイルス」と「コロナ禍」は違う。前者に対して私たちは、医療や公衆衛生の専門家の助言に従って「正しく恐れる」しかない。だが人間や社会がかかわる「コロナ禍」に対しては、ソンタグの考察にならって、さまざまな隠喩をはぎ取り、批判し、警戒を緩めてはならないと思う。

   まず私たちが「生と死」という日ごろ忘れていた問いを眼前に突きつけられ、恐れおののいていることを認めよう。その根源的な恐怖は、気晴らしや紛らわし、他人を非難することでは消えることがない。その恐れに向き合い、醒めたまま耐えることが第一歩だろう。

   私たちは誰もが早く平穏な日常、平穏な社会を取り戻したいと、切に願っている。だが、その「平穏」さは、ただ「健康」だけを意味しているのではない。この困難な中でも「健全」な社会を保ち続けること。それが「平穏な日常」に戻る唯一の道だろうと思う。

ジャーナリスト  外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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