2021年 3月 5日 (金)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(20) 日本は「グローバル対話」の促進者に

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「平和」への希求

   実務と研究の両輪で「平和」を探求する東さんの原点には、ご両親の被爆体験がある。

   広島に生まれ育った東さんの母親の家は爆心地から2・4キロにあった。

   爆発の瞬間、4歳だった母は部屋の一方から他方に吹き飛ばされた。伯母は祖母を連れて4歳の母親を背負い、爆心地の方へ向かった。皮膚が垂れ下がった人や眼が飛び出た人が逃げてきた。伯母が、祖母を必死で止めて来たのとは反対の方向に逃げて、かろうじて生き延びた。父親は一度も自身の被爆体験を語ったことがなく、「もう忘れた」というのみだ。だが母方の祖父は反核運動の闘士となり、東さんも母や親せきから体験談を繰り返し聞き、いつかは平和に関わる仕事がしたいと思っていたという。

   NHKディレクターとして手掛けた「我々はなぜ戦争をしたのか?」は、ベトナム戦争を戦ったかつての北ベトナム、米国の指導者が1997年に集い、なぜ戦争を拡大させたのか、なぜ紛争を収拾する機会を見失ったのかを話し合う対話を追った番組だった。

「取材の過程で、対立する指導者がいかに相手を見誤り、紛争回避の機会を失い続けたのかを知った。指導者の誤解や対話不足が、いかに多くの人を巻き込み、犠牲をもたらしたのかに気づき、紛争の現場で少しでも平和構築に役立ちたいと思った」

   日本には戦後、中村哲さんのように、平和構築や復興のために、黙々と紛争地で働き、現地に受け入れてもらった「平和構築」の積み重ねがある。

   今年は戦後75年の節目を迎えた。

   敗戦を折り返しとすれば、明治維新から敗戦までの明治・大正・昭和前期までの77年間は戦争に次ぐ「戦争の時代」だった。あと2年で、日本国憲法のもとで派兵を戒め、武力介入の両手を縛った昭和後期・平成・令和の「平和の時代」は、それと匹敵する年輪を刻むことになる。

   私たちは、そろそろ、戦後の価値観を基軸に据え、「グローバル・ファシリテーター」としての役割を、国家戦略の指針としていい時期にきている。

   お二人の話をうかがって、そう思った。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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