2024年 4月 23日 (火)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(29) 米国はバイデン政権下で分断を克服できるか

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コロナ禍とアメリカの歴史と伝統

   それにしても、コロナ禍に対するトランプ政権の無策ぶりは、目に余るものがあった。私がそんな感想を漏らすと、古矢さんは、「トランプ氏の奇矯な行動が混乱をもたらしたことは確かだ。しかし、この感染急拡大は、彼個人だけの問題とは言い切れないかもしれない」と話してくださった。

   アメリカの「反知性主義」や「反科学主義」には建国以来の根強い伝統があり、それが今回のコロナ禍に影響をもたらした可能性は否定できない、というのだ。これはどういうことなのか。

   人間社会が疫病に襲われるとき、祈祷や呪術によってではなく、科学的に確立された公衆衛生、防疫の知識によって、これと立ち向かう。この点こそが、近代と前近代を分かつ指標であろう。実際、近代以後の人類社会はグローバル化の今に至るまで、こうした知識や科学によって、乳幼児死亡率の激減や寿命の長期化、教育レベルの向上などに大きな成果をあげてきた。

   しかし、近代的な知や科学は、あらゆる問題を確実に解決する万能の手段ではなく、科学偏重が悲惨な結果を招いた失敗の事例も少なくない。また時として知識人や科学者や専門家のおごりや専横が、広範な民衆の間に不信を招き、反科学や反主知主義の風潮を生むこともまれではない。近代、とりわけ米国にはその成り立ちから、こうした知識や科学を疑うというもう一つの伝統があった。リチャード・ホフスタッター(米の歴史家)が「反知性主義」と呼ぶこの流れは、時に専門家や知識人を、庶民とは違って、人々を専門知識や科学でたぶらかし、エリートに成りあがって利用する、という見方をする傾向があるという。

   合衆国憲法には、第9条に次の規定がある。

「合衆国は、貴族の称号を授与してはならない。合衆国から報酬または信任を受けて官職にある者は、連邦議会の同意なしに、国王、公侯または他の国から、いかなる種類の贈与、俸給、官職または称号をも受けてはならない」

   このように特権を有するエリートが形成されることを否定し、常に警戒するという原則の上に建国したアメリカには、特権をもつ貴族もまた人権を制約された農奴も存在してはならないはずであった。むろんここでの最大最悪の例が黒人奴隷制の容認であり、先住民殲滅政策であった。この二つの巨大な矛盾にさえ目をつぶれば、少なくとも白人男性の間での特権の否定と平等が、アメリカのもともとの国是であった。彼らは19世紀には独立自営農民として分厚い中産階級を形成し、20世紀のアメリカは重厚長大の製造業の労働者という中産階級を育てた。契約、居住、職業選択は個人の自由であり、その徹底した平等と自由のもとに、社会の統合と安全が図られた。

   だが農業技術を高度化するには科学を研究し、農業技術者を育てていかねばならない。当然教育機関や研究機関を整備する必要がある。そこには技術や科学に関する新しいエリートの誕生が求められ促進される契機が当初から孕まれていたといっていい。つまり、アメリカ社会は当初から、「エリート主義」と「中産階級主義」という矛盾を抱え込むことになった。

   中産階級が安泰で、社会全体の暮らし向きが良くなっていく時期には、この矛盾は表面化することはないかもしれない。だが、いざ中産階級の暮らしが脅かされ、不安や不満が募ると、その内訌するフラストレーションはエリートの財力や地位などへの反感や反発、恨みつらみになって噴出することがある、というのだ。

   もう一つの要因は宗教だ。

   欧州のカトリックが強固な信仰組織を持ち、市民は宗教エリートである神父の下で教区に生まれ教区で社会に組み込まれるのに対し、アメリカのプロテスタントはバイブル一冊だけを持って移民し、日々聖書に向き合って信仰を強めていった。開拓時代の西部にはまだ教会のない地域も多く、宗教的な権威による解釈に頼ることもできなかった。こうして聖書がすべて、という「福音主義」が根づいていった。

   欧州ではラマルクの「要不要説」からダーウィンの進化論に至るまでに、科学と信仰を分離する流れが定着したが、アメリカでは額面通りに聖書の文言を受け取り、進化論を否定する流れが依然として根強かった。

   1896年の大統領選で敗れた民主党のブライアンは、政界から引退した後は、宗教指導者として人気を博したが、1920年代には進化論論争の一翼を担ってゆく。進化論を公教育の場で教えていいか、が争点になったテネシー州の有名な「スコープス裁判」で、彼は進化論否定の立場から証言し、東部都市のエリート知識人によって嘲弄された。しかし、この時の判決は、公教育の場で進化論を教えてはならないとした州法を認め、被告スコープスは罰金刑に処された。

「この一事に見られたように、都市化のいちじるしく進んだ1920年代のアメリカにあってなお、科学的知見が宗教によって否定されたことは、驚きです。しかもこの進化論論争は、この21世紀にあってもなおアメリカのバイブル・ベルトで戦わされていることも忘れてはならないでしょう」

   こうした「反知性主義」や「反科学主義」の伏流水は、産業構造の転換に伴う中産階級衰退の時期には「反エリート主義」になって表に噴出することがある。

「アメリカの場合は、個人が自己判断でこれでいい、と決める伝統がある。アメリカ社会は自己判断の強さを信じる人の集団であり、アメリカの民主主義は、その自己判断に支えられている面もある。彼らは決して妥協しない。付和雷同に流されがちな日本とは対極的ですが、どちらがいいというのではなく、現代に生きる彼らも我々も、それぞれの文明史観のもとに生きている、ということなのでしょう」

   古矢さんのお話をうかがって、日進月歩で技術が進む今の私たちも、いかに長い歴史や伝統のもとに、それぞれの道を歩んでいるかを思い知り、この国の過去とこれからに思いをめぐらした。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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