2024年 4月 20日 (土)

「面白いマンガが読みたい」一心で歩んだ38年 プロ作家も多数輩出「コミティア」の歴史とこれから

「コミティアは、人生でした」

――コミティアを続けて印象深かった出来事はありますか?

「2014年に文化庁メディア芸術祭の功労賞を受賞したことでしょうか。中村公彦個人が受賞者とはなっていますが、私としては受賞対象はコミティアであり、自分はその主催者として代わりに受け取ったという認識です。
またこの賞を初めて同人誌の世界の人間が受賞したことも、同人文化が評価されたようで嬉しいものがありました。受賞の御祝いの席で、功労賞受賞の先輩であり、私がもっとも尊敬する編集者の先達である栗原良幸さん(元『コミックモーニング』創刊編集長)に、『コミティアの30年は通過点。50年、100年を目指すべき』と言われたことは強く心に刻まれて、今回の代表交代を決意するきっかけになりました」

――中村さんは2022年11月27日開催の「COMITIA142」をもって、代表を退任し、会長に就任しました。なぜ今、コミティア代表を引退されたのでしょうか?

「やはり自分の年齢の問題があります。私は現在61歳で、当初の考えでは2020年に東京オリンピックが終わったら退任の準備を始めるつもりでいたのですが、その予定が全部コロナ禍で吹っ飛んでしまいました。
同時に痛感したのが、こうした非常事態を乗り切るには若い世代にバトンタッチした方が良いということです。様々な判断に即応性が求められますし、時代に合わせて運営のやり方もアップデートしてゆかねばなりません。
新代表には、これまでのやり方にこだわる必要はないと伝えています。むしろこんなに苦しい時期によく引き継いでくれたことを感謝しています」

――代表を引退し、環境や心境に変化はありましたか?

「代表を引き継いでも、前回のコミティアのアフターレポートを書いたり、引継ぎも残っていて、そうした代表仕事の後片付けが終わらないと区切りがつかないですね。生活が変わるのはもうちょっと先かなと思います。
でも前回の閉会後、スタッフ内部で代表交代のセレモニーがあり、スタッフのみんなが代表を退任する私へのお疲れ様メッセージを集めた同人誌を作って贈ってくれたんです。いろいろな思い出が書いてあって、それを読んだときには流石に、『ああこれで自分の代表の役割は終わるんだな』と実感しました。同人誌は薄い本とは言われるものの、文字びっしりで20ページくらいあったので(笑)」

――今後「会長」としては、どんなことに取り組んでいきますか?

「対外的な折衝・発信や地方コミティアとの連携を担っていきます。特にコロナ禍から、会場利用の問題で自治体や政治家の方々と交渉するなど、政治的な動きをする必要が増えてきました。イベントの運営と対外交渉、両方に対応するのはかなりきつかったので、今後は新代表との役割分担で、その部分を私が担うことになります。
あとは昔からやりたかったことで、マンガを教える大学が増えているのでうまくタイアップできたらと考えています。現在も年1回ペースで神戸芸術工科大学と東京工芸大学で、コミティアや同人誌のことを紹介する講義をさせてもらっています。 大学在学中に商業デビューできる作家はごく一部ですよね。でもデビューできずに卒業した後もマンガを描き続けて欲しいし、社会人経験をしてから伸びる作家もいるでしょう。そういう学生の皆さんにコミティアという作品発表の場があり、多くの仲間がいることを知ってもらいたいんです。もちろんウェブで発表する手段もありますが、リアルに人の反応が見れて、作家同士が直接出会えるコミティアの魅力を伝えたい。
コミティアは、作家が長いスパンで描き続けられ、そのなかで自分も成長していく場所だと考えています。そうした生涯学習的な部分が教育現場とうまくマッチングできないかと前々から考えていて、やっとそうした部分に注力できる時間が取れるかなと思います」

――最後に、中村さんにとって「コミティア」とは?

「うーん、自分にとっては人生そのものでした。生きてきた過半数をコミティア代表として過ごし、自分よりもコミティアのことを大事にしてこれまでやってきました。周囲の人々、とくにボランティアスタッフたちは、それを見ているから私のことを信頼してくれたのかなと思います。
そんな仲間たちと築いてきた大切なコミティアが『いつもここにあります』と言い続けるために代表を交代しました。これからも時代に合わせて変化を恐れず、けれど作家と作品を大事にする姿勢を失わず、参加者にとって創作の原点のような居場所であり続けてほしいです」
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