幹部の大半が夏休み、初動遅れた自衛隊
「撃墜説」とは別に、当時の自衛隊は世論から厳しい批判を浴びている。当時、防衛施設庁長官だった佐々淳行氏が「中曽根内閣史」(世界平和研究所)への寄稿で明かしている。寄稿によると、加藤紘一防衛庁長官を筆頭に、幹部の大半が夏休み中で、「在庁だったのは内局では村上正邦政務次官のみ」。官邸にいた中曽根氏からは
「『直ちにヘリコプターを飛ばせ。夜間の現場着陸は危険で困難であることはわかるが、上空を舞っているだけで生存者は勇気づけられるのだから、RFファントム偵察機の高高度写真撮影だけでなくヘリコプターを飛ばせ』と、再々の指示があった」
が、「防衛庁長官以下主要幹部たちが顔をそろえたのは深更」。生存者の川上慶子さんが、墜落からしばらくは周辺でうめき声が聞こえていたとする証言をしたことから、批判が相次いだ。当時の様子を、佐々氏は次のように総括している。
「有事即応の態勢を欠き、加藤長官以下幹部がいっせいに休みをとり、立ち上がりの段階で指揮権に空白を生じた防衛庁内局の危機管理感覚の欠落は、マスコミ、世論の手厳しい批判を受けたのであった」
(J-CASTニュース編集委員 兼 副編集長 工藤博司)