靖国神社「公式参拝」は、なぜ1回しか行われなかったのか 「中曽根文書」会見記録とオフレコメモから読み解く一部始終

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当初は中国も黙認方針...政治問題になってしまい「原則論で押さざるを得ない」

   その舞台裏を語る人物もいる。赤文字で「要注意」と書かれ、「宮沢私邸懇(85.10.24夜) オフレコ」と題したメモだ。自民党の宮澤喜一総務会長とみられる人物が、次のように語っている。

「これはオフレコですが、外務省としては公式参拝ということになると当然中国のリアクションが予想されますから事前に中国側と非公式な折衝をしたらしいんですね。そしたら中国の方も終戦記念日に参拝するくらいなら黙認するという反応だったらしいんですね。ところが北京大学でデモが起こり、中国のマスコミがこれを取り上げ、日本のマスコミもこれを取り上げることによってすっかりポリティックスな問題になってしまった。そうなると、中国外務省も原則論で押さざるを得ないということらしいんですね」

   その上で、当時の政府の見通しの甘さを指摘した。

「(編注:日本時間でこの日午前に、ニューヨークで行われたばかりの)中曽根趙紫陽会談で原則の確認をしたようですが外務大臣は『まだまだ尾を引きそうだ』といっていましたね。まあ、終戦記念日と秋季例大祭は私も性格が違うと思いますし、今度は時間がないということであのような処理をしたのですが、これからどうするのでしょうかねえ。『一旦政府が決めた方針が外国の内政干渉によって覆るのはおかしい』というのはちょっと激しすぎるとは思いますが、リアクションが読めなかったのかといわれれば政府は苦しいですよね」

   中国の反発はこの後も収まらず、後藤田正晴官房長官が86年8月14日に「国際関係を重視し、近隣諸国の国民感情にも適切に配慮しなければならない」などとする談話を発表。公式参拝のみならず、参拝そのものを見送ることを表明している。

(J-CASTニュース編集委員 兼 副編集長 工藤博司)

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