中島飛行機の人材が自動車産業の発展に尽くした
日本の場合はこうだ。
中島飛行機(現スバル)の技術者だった中川良一氏は日産自動車、中村良夫氏はホンダ、百瀬晋六氏はスバルの技術者として活躍し、戦後の自動車産業の発展を築いた。ロケット開発で有名な糸川英夫氏も中島飛行機の技術者だった。
戦前の中島飛行機は今日の米テスラのような存在だったらしい。スタートアップとして彗星のように現れ、優秀な若い技術者が次々と既成概念を破り、短期間で米英と並ぶ戦闘機を開発・生産した。戦後、新興財閥として解体された中島飛行機は自動車産業への人材供給源となった。
ドイツでも戦闘機を開発した技術者が戦後、自動車産業に転身し、戦後の復興を支えた。戦前のBMWやメルセデス・ベンツは戦闘機のエンジンを開発していた。結果的に戦後の日本とドイツは航空機産業の技術と経験を生かし、世界の自動車産業をリードした。
今はどうなのか。米国ではシリコンバレーのIT技術者がテスラやウェイモなどに参入し、EVや自動運転技術の開発に携わっているようだ。とりわけ日本は自動運転の実用化で米中の遅れをとっている。
戦前の中島飛行機の技術者は欧米で学び、試行錯誤を重ねながら課題を克服したようだ。日本は若い優秀な人材を国内にとどめず、むしろシリコンバレーなど海外で学ばせることで、米中に対抗する新たなビジネスモデルを模索すべきではないか。
(ジャーナリスト 岩城諒)