自社さ村山政権は社会党転落の始まり、8党派連立政権は8か月余で崩壊した
今の政界に野中氏ほど剛腕な仕掛け人の出現は難しいにせよ、自民党が野党との連立交渉を進めるうえで浮上する数々の難関を、突破する交渉役が必要となる。野中氏は、自公連立以前の「自社さ連立政権=村山富市首相」(94年6月)の調整にも、深く関わっていた。連立によって成立した自社さ政権は、戦後自民党と40年近く対峙してきた社会党が消滅の危機に向かう大きな転機ともなった。村山政権は、それまでの社会党の基幹政策を大転換して、「自衛隊合憲、日米安保堅持」に踏み切り、全国の大量の支援者が離れ、党内の議員が離脱する転機となった。
社会党衰退の例のように、野党の「連立政権入り」は、「政権党へのすりより」と批判され、それまでの支持者が離れ、党勢転落のきっかけとなりかねない。さらに、小沢氏が一気に8党派をまとめた細川連立政権(93年8月)が、内部分裂から8か月で崩壊した事実は、今でも連立に挑戦する野党幹部の頭にはあり、慎重にならざるを得ない大きな要因となっている。