プロ野球ロッテの前監督の吉井理人氏(60)が、2025年11月15日に公開された野球解説者・阿波野秀幸氏(61)のユーチューブ動画「阿波野チャンネル」に出演し、現役時代に大リーグに移籍した際の秘話を披露した。巨人、横浜ベイスターズ、西武、阪神、中日からオファーが和歌山・箕島高校出身の吉井氏は、83年ドラフト会議で近鉄に2位指名され入団。近鉄で11年プレーし、95年に交換トレードでヤクルトに移籍した。97年オフに、海外フリーエージェント(FA)権を行使して、大リーグのニューヨーク・メッツに移籍した。00年にコロラド・ロッキーズでプレーし、01年から2年間、ワシントン・ナショナルズでプレーした。03年に日本球界に復帰し、オリックスに移籍。07年6月に交換トレードでロッテに移籍し、同シーズン終了後に現役を引退した。引退後は、指導者として日本ハム、ソフトバンク、ロッテでコーチを歴任。22年オフにロッテの監督に就任し、23年から3年間、指揮を執った。動画の中で、吉井氏は現役時代の97年オフの動向に言及。FA権を行使した吉井氏のもとに、複数の国内球団からオファーがあったという。吉井氏は、当時の状況を次のように振り返った。「メジャーを第1に考えていたが、日本から巨人、横浜ベイスターズ、西武、阪神、中日それぞれお話をさせていただいた。(当時中日監督の)星野(仙一)さんが、いかつかったです。『今からすぐに東京行くから、どこそこのホテルで待っとけ』と。そして、星野さんが来て『お前、巨人に行ったら承知せえへんぞ』と。僕が、『メジャーに行きたいと思っています』と言ったら、『それやったら応援する』と言って帰られました」「長嶋さんが、最後は『僕のポケットマネーを出すから』と」そして、こう続けた。「巨人は、長嶋(茂雄)さんが監督でして、何回かご飯に連れて行っていただいた。かなりのオファーで、最後は『僕のポケットマネーを出すから。銀座でパレードしましょう』と言われた時は、『これは巨人かな』と思ったが、星野さんの顔がポッと出てきた。横浜もすごく良いオファーを出してくれました」吉井氏を巡るし烈な争奪戦が繰り広げられる中、大リーグか、それとも国内リーグか。気持ちは大きく揺れたという。吉井氏は当時の心境について「かなり迷いました」とし、大リーグを決断した理由に言及した。「迷っている時に、野茂(英雄)が、とんねるずの忘年会に誘ってくれて、気晴らしに行ったんですよ。そうしたら、みんなに『なにビビってんねん。アメリカに行かなあかんやろ』と言われた。それで『そうやな』と。1番初めにアメリカに行くと決めたし、どれが1番楽しいかなと思ったら、アメリカに行くのが1番楽しいと思い、そこで決断した」巨人は「確か4年13億円とか」、大リーグは「20万ドルの最低年俸」スタッフから「最後に背中を押したのは、とんねるずとの忘年会ですか?」と問われると、「そうですね。野茂とタカさん(石橋貴明)」と即答した。野茂英雄氏(57)は近鉄の元同僚で、95年にロサンゼルス・ドジャースに移籍。忘年会が開かれた97年当時は、ドジャースでプレーしていた。また、お笑いコンビ、とんねるずの石橋貴明さんは、元高校球児で、野球好き芸人として知られる。吉井氏は当時、巨人からオファーされた具体的な金額を明かし、大リーグ行きを、こう振り返った。「お金の面でいったら、巨人は確か4年13億円とか、それくらいの金額。当時だと破格ですね。メジャーは契約金なしの50万ドルと言われて、結局、メディカルチェックで引っかかって、20万ドルの最低年俸に値下げされた。当時、1ドルは110円くらいだったので、2200万円くらいの契約でメジャーに行った。お金ではだいぶ損したが、経験という意味では、すごい良かったと思う」吉井氏は日本球界通算89勝82敗62セーブを記録。大リーグでは32勝47敗1ホールドをマークした。
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