死去した丹羽宇一郎さんは、経済界有数の読書家だった 『死ぬほど読書』ベストセラーに

   伊藤忠商事の社長や会長を歴任し、民間初の駐中国大使も務めた丹羽宇一郎(にわ・ういちろう)さんが2025年12月24日、老衰のため死去したことが分かった。86歳だった。

   丹羽さんは経済界有数の読書家として知られ、2017年発売の『死ぬほど読書』(幻冬舎新書)はベストセラーになった。

  • 駐中国大使などを歴任した丹羽宇一郎さん(写真:Photoshot/アフロ)
    駐中国大使などを歴任した丹羽宇一郎さん(写真:Photoshot/アフロ)
  • 丹羽宇一郎さんは日中関係の改善に尽力した
    丹羽宇一郎さんは日中関係の改善に尽力した
  • 駐中国大使などを歴任した丹羽宇一郎さん(写真:Photoshot/アフロ)
  • 丹羽宇一郎さんは日中関係の改善に尽力した

「官能小説も書ける」

   丹羽さんは小さいときから読書にいそしんできた。というのも、名古屋の実家は書店だった。店の棚に並んだ本を汚さないようにきれいに読んで、また元にもどしていたそうだ。少年少女日本文学全集や世界文学全集は当然のこと、名古屋大学時代は自治会の委員長も経験。学生運動にも関わっていたから、マルクスやエンゲルス、マックス・ウェーバーはもちろん読んだ。さらにレヴィ=ストロース、丸山真男、アダム・スミス・・・。

   伊藤忠で働くようになり、家を買ったときは、終着駅を選んだ。始発なら座れる。長時間通勤でじっくり本を読むためだった。

   『死ぬほど読書』によると、難解な書籍だけでなく、漫画も読んだ。「カムイ伝」を連載していた「ガロ」は定期購読。中学生のころから、店の書棚に並んでいた「夜の生活」関係の本も嫌というほど読んだ。今でも「官能小説」を書けと言われれば書けると、同書の中で自負していた。

瀬島龍三氏の薫陶を受けた

   しかし、丹羽さんは、本の世界にのみ籠ることも良しとしていなかった。伊藤忠時代に、瀬島龍三氏の薫陶を受けたことが大きかった。

   瀬島氏は戦前の大本営参謀。11年間のソ連抑留生活から帰国後、伊藤忠商事の幹部として働いていた。「問題が起きたら、すぐ飛行機に乗って現地に行きなさい」と教えられた。活字で知る知識はしょせん二次情報。まず自分の眼で確認するのが大切というわけだ。9年間の米国勤務時代、その教えを肝に銘じ、必ず現場を踏むことを実践した。

   加えて、人に会って話を聞くことも心掛けた。巨人軍の監督だった川上哲治氏とは何度も会って直接、人生哲学を聞いた。V9監督。組織の在り方や人材の育て方について大いに参考になることがあったという。

   丹羽さんは、無類の読書家であると同時に、労を惜しまず現場を踏み、積極的に人と会って教えも請うことをモットーとしたビジネスマンだった。「体験だけで生きてきた人の、人を見る力が5のレベルにあるとするなら、読書を重ねることで、そのレベルは倍近くになる」――そう強調していた。

   共著も含めると著者は数十冊。印税はすべて図書館などに寄付していたそうだ。

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