防潮堤と共に生きる人々の思い 津波の教訓は復興にどう生かされたか【東日本大震災15年】 #知り続ける

   走るバスの窓の外はしばらくの間、同じ景色が続いていた。青空の下には、コンクリートの壁――。JR気仙沼線・陸前小泉駅の手前、津谷川に造られた堤防だ。河口の北側にある小泉海岸には、高さ14.7メートルという防潮堤がそびえる。

   福島、宮城、岩手の太平洋側は、東日本大震災のあと防潮堤の建造が進んだ。賛否をよんだが、工事が完了した地域の住民は今後、防潮堤と共に生きていくことになる。

  • 「道の駅 硯上の里 おがつ」前に立つ防潮堤。階段を下りると、雄勝の海が広がる(2026年2月撮影)
    「道の駅 硯上の里 おがつ」前に立つ防潮堤。階段を下りると、雄勝の海が広がる(2026年2月撮影)
  • 2015年当時、気仙沼市内で建設中だった防潮堤(2015年3月撮影)
    2015年当時、気仙沼市内で建設中だった防潮堤(2015年3月撮影)
  • 花の季節には、ガーデン内が色鮮やかに彩られる(写真提供:雄勝ローズファクトリーガーデン)
    花の季節には、ガーデン内が色鮮やかに彩られる(写真提供:雄勝ローズファクトリーガーデン)
  • 雄勝湾に沿って防潮堤が続く(2026年2月撮影)
    雄勝湾に沿って防潮堤が続く(2026年2月撮影)
  • 気仙沼の漁港近くの岸壁を、防潮堤がぐるりと囲む(2017年3月撮影)
    気仙沼の漁港近くの岸壁を、防潮堤がぐるりと囲む(2017年3月撮影)
  • 「海岸線の美術館」と名付けられた、雄勝にある防潮堤の壁画の一つ(2026年2月撮影)
    「海岸線の美術館」と名付けられた、雄勝にある防潮堤の壁画の一つ(2026年2月撮影)
  • 気仙沼市内で造られた防潮堤(2017年撮影)
    気仙沼市内で造られた防潮堤(2017年撮影)
  • 気仙沼市中心部の防潮堤。高さに圧倒されるほどではない印象だった(2026年2月撮影)
    気仙沼市中心部の防潮堤。高さに圧倒されるほどではない印象だった(2026年2月撮影)
  • 「道の駅 硯上の里 おがつ」前に立つ防潮堤。階段を下りると、雄勝の海が広がる(2026年2月撮影)
  • 2015年当時、気仙沼市内で建設中だった防潮堤(2015年3月撮影)
  • 花の季節には、ガーデン内が色鮮やかに彩られる(写真提供:雄勝ローズファクトリーガーデン)
  • 雄勝湾に沿って防潮堤が続く(2026年2月撮影)
  • 気仙沼の漁港近くの岸壁を、防潮堤がぐるりと囲む(2017年3月撮影)
  • 「海岸線の美術館」と名付けられた、雄勝にある防潮堤の壁画の一つ(2026年2月撮影)
  • 気仙沼市内で造られた防潮堤(2017年撮影)
  • 気仙沼市中心部の防潮堤。高さに圧倒されるほどではない印象だった(2026年2月撮影)

防潮堤が「必ず津波を防ぐ」わけではない

   宮城県気仙沼市の内湾地区。震災時は津波で壊滅的なダメージを受けた。現在では商業施設や飲食店が立ち並び、海辺をぐるりと防潮堤が囲んでいる。魚市場の前や、その先の商港岸壁に、防潮堤は続いていた。

   復興庁によると、宮城県では2024年3月時点で防潮堤の整備が計画の99%に達した。気仙沼市内で乗車したタクシーの運転手は、「住民の意見は、さまざま」と話した。いつ来るかわからない津波のために巨額の費用を投じて防潮堤をつくる意味があるのか、だが、もし津波に襲われた時の備えとして防潮堤がなかったら、誰が責任をとるのか――。

   しばしば引き合いに出されるのが、岩手県宮古市田老に震災前からあった防潮堤だ。高さ10メートル、総延長2433メートルで「万里の長城」に例えられるほどだった。しかし、東日本大震災では17メートルを超える津波が防潮堤を超えて地域を壊滅させ、多くの犠牲者が出た。

   一方で田老では、「防潮堤は津波を完璧に防ぐものではなく、避難のための時間を稼ぐもの」と位置付けられてきたという。

   明治三陸津波、昭和三陸津波と2度、甚大な被害を出した田老。一方、1960年のチリ地震津波では、ダメージを最小限に食い止めた。だが東日本大震災では......。防潮堤が「必ず津波を防ぐ」わけではない。

姉妹サイト