2019年 12月 10日 (火)

死去の中曽根康弘氏、101年の生涯 青年将校から風見鶏、大勲位、そして「暮れてなお命の限り蝉しぐれ」の心境へ

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   5年にわたって長期政権を維持し、国鉄民営化、行政改革などで実績を残した中曽根康弘元首相が、亡くなった。101歳だった。2019年11月29日、NHK、共同通信などが報じた。

   若いころは「青年将校」、小派閥で苦労していたころは「政界の風見鶏」、現役政治家として頂点を極めた後は「大勲位」と呼ばれた。衆議院議員を20期務め、85歳で政界を引退したが、その後も「憲法改正」などでマスコミに登場することが多く、保守政界の最長老。戦後政治史の生き字引的存在で、生涯現役に近かった。

  • 「ロン・ヤス」の仲で知られたロナルド・レーガン元大統領と。1986年
    「ロン・ヤス」の仲で知られたロナルド・レーガン元大統領と。1986年

リクルート事件で「自民党離党」も経験

   群馬県出身。実家は関東有数の材木問屋。高崎中学、静岡高校を経て東大法学部卒。内務省に入るが、海軍短期現役制度で海軍主計中尉に。実際に巡洋艦に乗ってフィリピンやインドネシアで襲撃を受け、戦死者多数。「阿鼻叫喚の地獄絵」を体験した。戦後、内務省に復帰、香川県警務課長をしていたが、「過激な左翼から郷土を守らねば」と政治家を志す。1947(昭和22)年、群馬3区から初当選。28歳だった。

   大柄で太い眉、青雲の気にあふれた雰囲気から、「緋縅の鎧(ひおどしのよろい)をつけた若武者」と持ち上げられた。自主憲法の制定や首相公選などを血気盛んに訴え、「青年将校」の異名も。民主党、国民民主党、改進党を経て自民党に。河野一郎氏の衣鉢を継いで中曽根派をつくったが、保守傍流だったので派閥の運営や入閣などで苦労し、「三角大福」の後塵を拝すことを強いられた。政局の風向きを読んで巧みに立ち回ることから「政界の風見鶏」と揶揄された時期もあった。

   80年、鈴木善幸内閣の行政管理庁長官になり、「第二次臨時行政調査会」をスタートさせる。82年、首相になった時は田中角栄元首相の支援を受けていたので「田中曽根内閣」などと陰口をたたかれた。国鉄などの民営化を強力に進め、「民活」「規制緩和」が中曽根内閣のスローガンに。公有地の払下げなどで経済活動を活性化させた一方で、不動産バブルへの道を開く形にもなった。

   歴代の首相の中では国際的なプレゼンスが際立った。米国・レーガン大統領とはファーストネームで「ロン・ヤス」と呼び合う親密な関係。英国・サッチャー首相や韓国・全斗煥大統領とも個人的な信頼関係をつくり、首脳外交を進めた。首相が大きな権限を持つ「大統領的首相」として権勢を誇り、3次にわたって組閣、87年、竹下登氏を後継に指名して退陣した。

   89年、リクルート事件で秘書が未公開株をもらっていたことから、離党に追い込まれる。自民党の総理経験者で離党したのは田中角栄氏に次いで2人目。90年には派閥を渡辺美智雄氏に譲った。91年に復党し、96年には自民党の比例北関東ブロック終身一位に。97年、最高レベルの勲章「大勲位菊花大綬章」を受章して、「大勲位」と称されるようになった。03年、定年制導入などで、政界から引退した。

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