2024年 4月 26日 (金)

死去の中曽根康弘氏、101年の生涯 青年将校から風見鶏、大勲位、そして「暮れてなお命の限り蝉しぐれ」の心境へ

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同期の田中元首相と明暗分ける

   ライバルとして意識していた田中角栄氏(1918~93)とは、生まれたのも同年なら、代議士になったのも昭和22(1947)年の第23回総選挙で同期。だが、戦後すぐに保守政党に巨額政治献金をするだけの財があった田中氏と、エリート官僚出身とはいえ、特段の肩書もなく徒手空拳、自転車で選挙区回りしてやっと当選した中曽根氏とはスタート時点でやや差があった。

   その後も、実務に長けた田中氏が保守本流を歩み、39歳で郵政大臣になったのを皮切りに40代で自民党政調会長、大蔵大臣、幹事長と主要ポストを総なめにして72年、54歳で首相になったのに対し、中曽根氏は長く非主流にとどまり、田中政権でようやく通産大臣として主要閣僚の仲間入り。首相になるのは10年遅れた。

   最終的には田中氏がロッキード事件で「闇将軍」となることを余儀なくされたのに対し、中曽根氏は長期政権を担い、その行賞として「大勲位菊花大綬章」を生存者受章した。戦後の首相では吉田茂氏、佐藤栄作氏に次いで三人目。保守政治家としての栄達を極め、二人の晩年は明暗を分けた。

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